2020.04.16 Thursday

Voodoo rigger

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    魔術というのは、一言で言えばこの世界の諸法則を意図的に歪ませることである。

     

    こう書くといかにも神秘主義的な期待や警戒心を人に抱かせるかもしれないが、今私はただ単に、超実存的な哲学の見方からそう述べている。

     

    物理法則に根強く支配された基底世界と、私達一人ひとりを中心とする私達一人ひとりの個別の精神宇宙を対比させる時、魔術とは本質的にそういう事象であると思う。

     

    私達の個別宇宙においては、ちょうど子供が皆そうであるように、ある程度の幻想を信じることが許される。私達がある幻想を信じるとき、それは基底世界から見れば誤った認識ということになる。

     

    しかし個別の宇宙において、その主催者が本当に真剣に幻想を信じるなら、幻想はその宇宙における真実になり得る。言い換えれば、個別の精神宇宙は確かに、基底世界の時間や空間の諸法則から解放され得るのである。

     

    こうしたことはただ、個別宇宙と基底世界を同等に扱う、超実存の見方を持つ時にだけ言えるだろう。

     

    魔術は確かに世界の法則を歪ませる。だがその現象は生憎、歪みを形成し、望みを達成したちょうどその段階で、完了するということはない。

     

    魔術には歪みの先がある。それは、歪みの反動、反作用である。

     

    私達の個別の精神宇宙は、常に基底世界からの束縛的な照射に晒される。個人の勝手な幻想は、基底世界から批判され、攻撃され、遂には破壊される。幻想は一時真実になり得るとしても、必ず終わりがある。

     

    劇的な魔術はこの揺り戻しさえも強固に否定するかもしれないが、するとそのせいで、基底世界と個別宇宙の間に葛藤が生じる。それは滞留し、放置されたストレスとなって、肉体と精神に病理をもたらす。(おとぎ話に出てくる邪悪な魔女達の、不自然な醜形化を見よ)

     

    魔術には期限があり、それは確かに一時真実たり得るが、永続はしない。

     

    期限が訪れると、魔術は反転し、災いをもたらす。

     

    その災いから逃れるために取られる最も一般的な対策は、魔術が掛けられた対象それ自体を、期限が訪れる前に消失させることである。(シンデレラはシラミだらけの少女に戻る前に城を去り、かぐや姫は婚姻の前に月の世界へ消えてしまう)

     

    このように良く洗練された魔術は、幻想の中から生じ、ある程度基底世界をも巻き込んで事件を起こし、その巻き込んだ反動によって壊れ初め、完全に壊れきる前に”うやむやに”される。

     

    だがシンデレラを見れば確かに、物語全体としては魔術が終わった後も少女が王子の恋慕を射止めているように、かぐや姫を失った後も翁と老婆には豪邸が残されているように、魔術それ自体は期限付きで終わるとしても、”魔術の周辺で獲得されたものの全てが、元通りに消失するわけではない”。

     

    これこそが、この世界における現実的な魔術の、中心原理である。

     

    魔術とは、精神的な投機なのだと言っても良い。その流れの全体を読んで、筋書き通りに物語を雲散霧消させ、その過程で副次的な所から収穫を得るのである。

     

    ここまで書けば、何となく分かるのではないだろうか。魔術というのは実は、この人間社会にありふれたものである。程度の差こそあれ、どんな夢見がちな子供もどんな堅実な大人も、いくらかはこうした魔術的作用を無意識に行使して、現実世界からなにがしかの利益を汲み上げているものなのだ。

     

    正に私達の人生は幻想的であり、過度に期待的であり、それ故に魔術に彩られている。

     

    地球と月の曖昧な重力がもたらす歪みの中から、その海水の満ち引きの中から、生命という原初の渾沌が生じてくる。生命はそれ自体魔術的に歪んでいる。どれほど進化しようとも、どれほど理知を得ようとも、生命が生命である限りにおいて、魔術から解放されることはない。

     

    愚かな魔術的誘惑によって、人間の魂は楽園から追放される。それは仕組まれた呪いのようなものでもある。だから、人が神に拠って立つことは難しい。

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

     

    2020.03.15 Sunday

    ( When we have shuffled off ) This mortal coil

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      有名になりたかった。

       

      それなりの地位を得て、人々の承認を得て。

       

      なぜそうだったのだろう、と考えていた。

       

      有名になって、大きな組織を作ったりすれば、もっと多くの人に有用な知識を分け与えられる。そのためだろうか。それは違う。知識はこの世界そのものに既に書かれている。私達は必要に応じて、必要な分だけをそこから取り出す。必要な時に、必要なだけ与えられる。それは世界に任せれば良い。私のすべきことではなかった。

       

      それでも人間の文化を押し上げたり、その役には立てるかもしれない・・・馬鹿馬鹿しい話だ。人間というこの同族どもだけを、いたずらに宇宙にのさばらせるための、必然性のある理由は見つからない。

       

      苦しんでいる人、自分のように苦しんで追いやられた人たちを救えるかもしれない。それもまた詭弁だ。軽率な援助が反面で人の思いを歪ませ、その押し出された分でまた別の問題が持ち上がる。苦しむ人は常におり、それを克服するものも、克服せずに死んでいくものもいる。またそれらの苦しみを、ほとんど知らずに生きる人々もいる。それもまた世界の采配による。

       

      なら、なぜだったのだろう・・・と考えて、結局こういうことを思った。

       

      私はただ、安寧が欲しかったのだ。このひとつの生命の、自分という存在の、永遠に守られるであろうという確証を。

       

      地位や、名声や、収入の大きさによって、私は私のこの存在を、より確かで永続的なものにできると思ったのだろう。

       

      考えてみれば、他愛ない話だ。

       

      それは無邪気な、少年少女の空想だ。

       

      小さな、温かい命の、切なる願いだ。

       

      そんなに悪いものでは、なかったのかもな。

       

       

       

       

       

       

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      2020.03.15 Sunday

      宇津流霊

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        生に縋りつく生者たちの神は、すでに死んでしまったものや、これから死にいくもののことを良しとはしない。当たり前のことではあるが。

         

        だが夜空に張り付いた絵画の中の花火が、本物のそれよりも遥かに感動に乏しいことを思えば、この神が偽りであることをすぐにも理解できよう。

         

        死と、夜と、混沌とが無ければ、

         

        昼の日差しも、温かい生の温もりも、整然と磨かれた秩序の美しさも、

         

        全ては無味無臭の土くれに過ぎない。

         

        死んでいったものや、弱いもの低いものであっても、その全ては素晴らしい。生きているもの、強いもの、高いものであっても、それは価値において変わらない。

         

        存在するということは、即ち変化するということだ。真に変化のない存在があるとすれば、それを私達は無と呼ぶだろう。

         

        変化と存在は同一だ。死と生が、夜と昼が、秩序と混沌がそれぞれ不可分にお互いを支えているように。

         

        その全てから織り出された、この今が、美しい。

         

         

         

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