2020.01.23 Thursday

絡みあう舌

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    個々の人間は、いくつもの倫理を同時に持つことができない。

     

    だとすれば私たちが考えねばならないことは「どの倫理を持つことが最も有益なのか?」ということだろう。

     

    それは選択肢の中での取捨というよりも、スペクトラム上の位置取りの問題である。

     

    小社会的な倫理と大社会的な倫理を対比して説明したが、これらは厳密にはっきりと線引きされて私たちの前にあるものではない。その人が人生を通して向き合う様々な現実環境の中で、場面場面歪に混交しつつ、時には小社会の答えと大社会の答えが人格破綻的にちぐはぐに結びつきながら、結果としてあるひとつの重心を示すようなものである。

     

    (そして、そのような歪な倫理の混交と葛藤のストレスから逃れるために、人は強力なイデオロギーやカリスマを通して、自分の存在の倫理的側面が完全に統一されることを望む。あり得ない理想ではあるが。)

     

    与えられた環境に応じて、小社会の倫理と大社会の倫理のいずれが有益(正しい倫理)なのかは異なってくる。

     

    簡単に図示すると次のような関係がある。

     

     

     

     

    今日の世界統治の情勢は、こうした倫理の構造が破綻した様子を良く示している。世界が排他主義と理想主義に別れて相争うのは、小社会と大社会がお互いの長所短所といった特性を理解せず、悪戯に自分の側を絶対正義のように語ることから起きている。

     

    それは恐らく、電子通信や生産技術の発達により、私たち個々の人間の感性や生き方が急激に多様化したこと、そしてこれまで誰も想像しなかったレベルで、世界中にくまなく相互監視の状態が構築されつつあることなどに起因するのだろう。

     

    結果として、小社会の人にとっては大社会の人が、大社会の人にとっては小社会の人が、理屈の通じない、それでいて決して無視できぬ頭の痛い存在に変貌し、社会構造はマヒしてしまう。

     

    このような体制の中で、排他主義者はその最大の武器である利権構造の集約を加速させはじめ、それは徐々に虚偽や横領などの集団秩序の腐敗を招く。反対に理想主義者にはメディアと世論とが大きな支援となるが、民衆の激情を煽ることに固執し始めると衆愚的な、中身のない熱狂的な破滅への道を先導するようになる。

     

    今現在、この世界の情勢がどのような状態にあり、スペクトラムのどの位置が最も有益な戦略を提供するのかということは私にはわからないが、少なくとも、電子通信普及前に比べれば大社会の影響は非常に急速に増大しており、それ故にグローバリストや共産主義者のような類の人々が、大手を振って我が世の春と勘違いし得るような状況になっているのは確かだろう。

     

    小社会の人は、集団が大きくなるにつれて大社会の視線とその影響を深く考慮せねばなるまい。また大社会の人は、自らの思想信条が唯一絶対の答えであり、それ以外の倫理が存在しないというような思い違いは、手放さねばなるまい。

     

     

     

    −−−

    後記

     

    このようなことを書き連ねてきて、私自身は、この小さな私たち人間の世界観に、いささか倦み疲れる所がある。小社会とか大社会とか、それはあくまで人間社会の中での規模の括りであって、倫理そのものはより大きく取れば、生命全体とか宇宙全体とか、その先まで更に拡大していく。

     

    だが生憎、高度な倫理はある段階まで行くと、人類という種にとって極めて有害な側面を帯びてくる。それはちょうど、私たちが自分の人生設計をする時に腹の中の大腸菌の一生まで考慮したりはしないのと同じことで、高度な倫理は人類の滅亡や、この宇宙それ自体の消滅を確約している。

     

    そのようなより”正しい”倫理は最早、人類にとってハビタブルなものとは言えないし、人類の団結や協調の為に役立つとも思えない。が兎に角、私は何らかの因果の結果として、そのような地点にまで進んだ(という空想を持つ)。そして後戻りできないことに気付く頃にはとっくに、私の倫理的感性、私の思想信条にとってこの人間世界は、ハビタブルなものとは言えなくなっていた。

     

    私がこの社会に望むのはただ、私自身を同居可能な(願わくば、有益な)狂人として理解してもらうこと。それだけだ。

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

    2020.01.19 Sunday

    いくつもの舌

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      倫理とは範囲統制だ。

       

      それは生存繁栄のための戦略である。そして戦略は、置かれた状況が異なれば、当然その場その場での最適解も異なってくる。

       

      だから倫理は、常に範囲統制の文脈において考えねばならない。これはつまり、自分が所属し、利益と損害において自己と深く結びつけられたような範囲領域を、我々がどのように自認するかという問題である。

       

      幼児の倫理は肉体の倫理であり、彼の世界の中心は彼の肉体の中に存在する。彼は肉体の声に従わねばならない。

       

      子供の倫理は家庭の倫理であり、親や身近な大人、年長の家族に従うことが重要になる。

       

      青年の倫理は小社会の倫理であり、分断された部族的集団の中で、その集団の規範に従いながらその集団の利益を最大化する為に、外部と競争するような世界観を持つ。

       

      成人の倫理は大社会の倫理であり、それはあらゆる垣根を越えた人間存在全体の営みを表す概念としての、”社会”における最適解を模索する。

       

      その先にもいくつかの段階は想定できる。生物にとっての倫理、地球にとっての倫理、宇宙にとっての倫理、などのように倫理基準となる範囲を規定でき、採用する範囲が異なれば最適な倫理の形もまた大きく異なってくることになる。

       

      実際の所、この世界の時間や空間といった諸原則も、繰り返しの創造の中で気に入られた一種の試行形態に過ぎないと言う意味では、倫理的なものである。倫理は不変の真理などではない。それは繁栄のための戦略でしかないのだ。

       

      こうしたことを考える中で、我々は人間精神のある避けがたい限界構造が、軋んで叫び声を上げることを実感するかもしれない。その構造上の限界とは、我々個々の人間にとっては、倫理はそのように柔軟な形をしていないし、していてはいけないということである。

       

      倫理規範は、個々の人間にとって、その人の人格形成に深く結びついた要の柱のようなものである。それは簡単に入れ替えたり、素早く切り替えたりすることのできるものではない。

       

      人間は主体的に行動し、それぞれが独自の思想見解によって突き動かされている。そうした行動の原動力には、その人が自らの人格と共に築き上げてきた固有の倫理規範が大きく作用する。

       

      言い換えれば、人間の「所属自認」、自分がどの範囲において主体的な存在なのかという自認、家庭人なのか、会社人なのか、国家人か地球人か宇宙人か、はたまた私を中心とした私の為の宇宙を生きる自己至上主義者として自認するのか、という問題があって、この自認はその人の固有の経験から導き出される実感的認識だから、経験そのものが上書きされない限り修正されない、という事情がある。

       

      人間の倫理は所属する範囲によって決まり、それぞれの倫理は、並行して複数を持ったり、簡単に付け替えたりすることができない。私達の生命が、個的存在として確立されて生きるように設計されているためである。

       

      もしその設計を無視して自らの倫理をメタ的に操作し、安易に或いは強制的に倫理規範を更新したりすれば、私達は自分自身の人格構造に、根本的な不調和を生じさせることにさえなりかねないだろう。

       

       

      JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

      2019.11.30 Saturday

      1月 瞑想会のご案内

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        来年(2020年)の1月から、瞑想の定例会を行います。

         

        毎月第3水曜日を予定、初回日時は以下の通りです。

         

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        日付:2020年1月15日(水)

        場所:高松市 生涯学習センター(まなびCAN) 2F和室

         

        時間:

         ◎初心者指導  19:00〜19:30

         ◎瞑想の時間  19:30〜20:00

         ◎情報共有など 20:00〜20:30

         

         ※ タイムスケジュールは目安です。

           その場の雰囲気でゆる〜く行っていきます。 

         

        参加費:無料

        参加資格:18歳以上の方

        持ち物等:特にありません

         

        諸注意 】

         

        ◎初回の方は、事前にメールなどでご連絡をいただけると

         有り難いです。(飛び入り参加も可です)

         

        ◎必要であれば簡単な瞑想のレクチャーをしますので

         ご希望の方は19:00からの初心者指導にご参加ください。

         

        ◎瞑想はフリースタイルで行います。時間だけ合わせて、後は

         ご自分のやり方で。音だけ出さない方法でお願いします。

         

        ◎当方宗教団体ではなく、勧誘や寄付の依頼などは全くありま

         せんが、精神や死後にまつわる話なども軽挙雑多に取り上げ

         ますので、そういったものが嫌いな方はご注意ください。

         

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        とりあえず、場所だけ抑えましたという形なので最初の内は参加者も少ないと思います。

         

        一応毎月は、ぼちぼちやっていく予定ですのでよろしくお願いいたします。

         

         

         

        JUGEMテーマ:心理学

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