2019.06.09 Sunday

死生観の更新

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    もしもある人が自己超越的な課題を乗り越え、境界よりも基底の側に自らの存在の本質を見出すとしたら、そのとき基底世界はどのようなものとして認識され得るか。

     

    結局のところ、すでに述べたように境界というものは、ある生物個体の感覚器官から生じる様々な知覚を通して構築されている。

     

    色、音、感触、匂い、味、そのような粗大な『感覚』プログラムを通して、間接的に『純粋意識』の存在を予感することはできるが、それとても直接に純粋意識を対象として観測や操作が行えるわけではない。

     

    つまり境界内容はあくまで、境界の中に閉塞されているのである。

     

    こうした条件下で猶も私たちが基底との繋がりを深化させ得るとしたら、それは影絵とか版画などの技術のように、消去法的なやり方で境界の中に基底の有り様を転写する場合のみであろう。

     

    単純なことだが、例えば睡眠を通して私たちはこの転写経験を行っている。通常、眠りに落ちればあらゆる知覚内容は主観世界から一旦完全に消失するが、目を覚ます時にはまた再起してくる。

     

    睡眠から覚醒の間に境界が消失していたとしても、基底は一定の間隔で時間を刻み、どうやらこの基底の側の肉体のありようが、境界の消失回復のリズムに影響しているようだという知識を私たちは得る。

     

    睡眠に限らず、そのような実体的経験から段々と、境界とは基底の側の物理作用に準じて生ずるものだということが本能的に理解されてこよう。

     

    とは言え素朴な認識としては物質が消えれば意識全体が消失するはず、という考えに陥りやすく、このような唯物論的世界観は私たちの主観的な実感と相容れない部分を持つ。

     

    さらに一歩進んで、意識ー物質の繋がりは細かく言えば自意識ー純粋意識ー物質という構造であることなどがわかれば、このような葛藤もまた次第に解消され、心と物との間、境界と基底との間には確かな相互関係があることが納得されてくる。

     

    心と物とが確かな相互関係を持つ、というのは言い換えれば、心は必ず物に即してあり、またそれに留まらず、物ある限り心はあり続けるということである。

     

    私たちが境界内に留まり、基底をより遠い無関係なものとして考えている限りは、基底における肉体の消滅は、境界という宇宙全体、世界全体の消失を意味することになる。

     

    だがもしも、私たちが境界内に閉塞されておらず、基底世界にまで自己の繋がりを広げていたとしたらその時は、個体の死は完全な世界消失ではなく、自らの一部が崩壊し、その形態を変えていくプロセスとして感じられる。

     

    そのような中で、ある物質の元素が複数の個体の生や死の循環の中に幾度も取り込まれていくとしたら、純粋意識のレベルにおいては、この元素はすでに幾度も生や死を経験してきたのだと言えるだろう。

     

    まさに私たちは(私たちの肉体ー意識を構成する部品としてのこれら元素は)、純粋意識のレベルでは、すでに何万回何億回という数の生死を経験してきたのである。

     

    境界はあくまで、”個体の”生存欲求に調整された形で生じてくる。私たちは自分の存在が誕生の時点から継続していることの証拠として自らの記憶を辿るのだが、この”記憶”というものもまた、時間軸上のその時々で脳内に作り上げられる過去の”模倣物”としての知覚であることを忘れてはならない。

     

    記憶もまた知覚である以上、それは境界内容であって、境界の内側のことしか語り得ない。

     

    つまり記憶というものも、個体の生命を維持存続するための便宜なのだ。私たちの意識や存在が確かに継続しているかどうか、また継続していくのかどうかということを考えるにあたって、自らの記憶を主に頼りにするとしたら、私たちは境界内に閉塞した世界観を持つことになる。

     

    一方で、境界を越え基底世界にまで通底した”自己”を持つ場合には、境界内容に過ぎない”記憶”それのみに、自らの存在が継続してきた根拠を委ねることは最早できなくなるだろう。

     

    もしも私たちが記憶を越えて存在する純粋意識と物質の相互作用を確かに実感するならば、その時私たちは、敢えて荘重に言えば、純粋意識というものを通してこれまでも何度も死を経験してきたし、これからも何度も生まれ、また死んでいくだろうということすら理解するのである。

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

    2019.06.09 Sunday

    超実存とトランスパーソナル 

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      境界と基底との葛藤が始まるとしても、生活形態や現実適応が健全であれば、必然的に境界はゆっくりとではあるが基底の法則性に染まっていくものである。

       

      それがいつ起こるか、どの年齢で、どのような経験を経て、ということは純粋に個人差のあることではあるが、こうした境界と基底の同化プロセスが相当高まってくると、否応なくトランスパーソナルな領域の課題がそこから掘り起こされてくる。

       

      超実存的に言えば、それはつまり自らの存在の根源を、境界の側に置くのかそれとも基底の側に置くのか、という課題である。

       

      もしも私たちが十分な経験を通して、自らの境界と基底を高度に同化する段階に来たのならば、その時私たちは自然に、あらゆる存在の根源は基底にあり、境界はそこに内包されつつも全体の一部として基底を支えている実体なのだということがわかるであろう。

       

      この段階では、パーソナリティの面では”自己”という観念の形骸化や、自己中心性の低下、現実適応力の向上、競争心や自己嫌悪感の減少、他者への寛容さなどが顕著な特徴として表れる。

       

      要するに、この課題を乗り越えた人はもはや自らの境界内容を、他者のそれと比較して特別重要なものとしては見ておらず、自己と他者をそれぞれ独立したものというよりは、基底というより大きな本質の中の対等な要素として見るようになるのである。

       

      一見するとそれは、自分を内包する集団を尊重するために、自らを犠牲にする自己卑下の精神のように見えるかもしれない。

       

      だが実際にはそうではなく、境界を乗り越えた人間は、自らの境界内容を他者と比べて”相対的に”特別視しないということであって、何も自らの境界を劣ったもののように考えたりすることはないし、むしろ境界ー基底間の葛藤に由来する否定的な考えを離れて、境界内容を純粋に受け入れ楽しみもするだろう。

       

      そうした人々は、仮に言葉を通して深く考えたことがないとしても提示されれば、『自らの境界内容も含めてあらゆる境界はそれ自体が基底の実体を形成する』『境界というこの自由な新しい宇宙を生み出し、最終的にまたそれを取り込む、という活動を通して、基底はその豊かさを増していくものである』というような見解にも同意できるはずである。

       

      こうした事情は若干、宇宙の生成観にまで関わることであるが、参考として暗示的に述べるならば、カオスの中に生じたロゴスは、カオスを代謝し続けることでしかその法則性の秩序を維持できない、ということが関連していよう。

       

       

       

      JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

      2019.06.09 Sunday

      超実存とトランスパーソナル 

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        さて、境界と基底との同化が進んでいく過程とは、どのようなものだろうか。

         

        まず、人間の”自己”を規定する要素は、境界の生成初期にはまだより多く基底の側に残されている。(この意味で幼児の精神は受動的であり、大した主体性を持たない)

         

        境界が成長し、曖昧で拡散した宇宙空間に”中心”という感覚が実感されると、その感覚を元に意識世界がある一点(これはあくまで仮想の座標ではあるのだが)を目指し集約し始める。

         

        無数の隕石が宇宙空間のある特定の座標を目指していっせいに飛来し、その場所で衝突しあっているような様子だと思えば良い。やがてその無数の隕石がぶつかり合ってできた巨大な塊は、惑星となって、今度は自らの引力によって、周囲の空間の物質をどんどん取り込み始めるだろう。

         

        こうして自我前駆体に十分な経験や実感が蓄積されていくと、境界の”中心”という概念、つまり”自己”の概念が創発され、私たちの意識の主体性は大幅に強化されていくのである。(尚ここでは、精神の発達が非定型であるとか、精神の個別の特徴により、自己形成が正常にできない場合については除外して述べる)

         

        この段階では、精神活動の大半がこの”自己”という中心地点を考慮して行われる。それを拡大したり、強化したり、満たして豊かにしたりすることが境界全体を通じた明確な活動目標となる。

         

        だが皮肉なことに、”自己”という境界の中心地点を強化するための経験や知識を積めば積むほど、境界は基底からより多くの”現実”を取り込んでしまうために、その同化レベルが高まってしまう。

         

        すると段々、”自己”という概念そのものが、基底からより多くのものを得ようとする境界の活動を阻害し始めるようになる。

         

        簡単に言えば、人間一人ひとりに備わる自己中心性、言わば”わがまま”が、『この私一人だけを特別視してくれない』現実の公平性に干渉して、現実世界からの情報の取り込みを邪魔するのである。

         

        ”自己”という境界中心のコンセプトを守る為に、基底からの情報取り込みが阻害され始めると、パーソナリティは誇大的な色彩を帯びてくる。それは場合によってはナルシスティックで攻撃的な性格を形成したり、また場合によっては魔術的な歪んだ万能感を秘めた性格を形づくったりもする。

         

        一般にこのような、ややモラトリアムな境界と基底との葛藤の段階は、人間の精神史の青年期から壮年期までの、ほとんど全ての期間を通じて続くものである。

         

         

         

        JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

        2019.06.09 Sunday

        超実存とトランスパーソナル 

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          基底と境界との関係をフラクタルなものとして理解すると、境界が生成された初期の時期であればあるほど、それはより自由で多様な形態を取り得るものだと考えられる。

           

          幼児が抱くファンタジーや世界観などは、基底の側から検討すれば他愛のない錯誤にすぎないが、境界的に捉えればそれらの極端に主観に基づいて理解された世界観も、新たな領域により自由なやり方で描き出された宇宙のひとつの姿なのであって、間違いであるとか劣っているというようなことは言えない。

           

          こうした新たな宇宙としての境界もまた成長、拡大、発展しつつ姿を変えていくものであるが、それに伴って徐々に、境界の中に基底の側のマクロな法則が流れ込んでくる。

           

          境界は基底に包括される形で生み出され、基底の中で成長していくものだから、基底からのフィードバックというものが必ず紛れ込んでくるのだ。(子供は成長するにつれてファンタジーを失い、代わりに現実に関する様々な理屈を得る)

           

          このように境界は、その成長において必然的に、基底に同化していく性質を持つ。

           

          その個体の経験や倫理観宗教観などによって、境界と基底のどちらに重きを置いてパーソナリティを構築しているかということは異なるが、境界に重きを置けばより主観的でファンタジックな世界観を、基底に重きを置けばより客観的で現実的な世界観をパーソナリティの中に構築することになり、こうした心のバランスの違いもまた、人間個々の価値観の差を生む要素のひとつであると言えよう。

           

           

           

          JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

          2019.06.08 Saturday

          純粋意識と感覚および自意識の関係

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            基底と境界の繋がりについて。

             

            境界は、生物の生存意図を通じて作られる。言うまでもなく、生物は基底的な世界から生まれ出てくるものである。

             

            だから境界もまた、基底から生まれ出てくるのだ、ということが単純に言える。

             

            私たちの主観世界である境界が、物質的な宇宙である基底の動きに準じて生じてくるというのは、考えてみれば奇妙なことかもしれない。

             

            それはシンプルに言えば、意識は物質から生まれてくる、ということだからである。

             

            科学的には了承しやすいであろうこの見方を、私たちが一見不自然に感じるのは、『意識』というものへの混同と誤解があるからではないか。

             

            その誤解とは、『意識』を最初から複雑な構造物として捉えてしまうことである。

             

            結論を言えば、私たちが『意識』と呼んでいるものは主に三層の領域から段階的に成り立っている。(この”層”としての区別はあくまで便宜的なもの。実際は意識の機能がスペクトラム的に異なった表れ方をしているに過ぎない)

             

            一つ目は、基底のあらゆる物質に遍在する、『純粋意識』の層。(この宇宙のあらゆる物質は、素粒子の段階からこの低次意識を持つ。それは色も音もなく、それでいてただ単に”在る”という感触だけを生じさせる)

             

            二つ目は、肉体の様々な感覚器官を通して作られる生体機能的な『感覚』の層。(凡そほとんどの生命らしい生命はこの感覚意識を持つ)

             

            そして三つ目は、生命の維持存続欲求を高度に洗練するために作り上げられる、統合された精神としての『私』概念を作り上げる『自意識』の層。(“私”観念は純粋に言語的なものであるように思われる。それ故に、自意識とは基本的には言語を扱う生命体である私たち人類のみが用いる機能だと考えて良いだろう)

             

            コンピュータに例えれば、『純粋意識』とは基礎となる電子信号の1ビットのこと。『感覚』とはそれを複雑に計算することで得られる個々のプログラム、『自意識』はそれらプログラムをまとめ上げひとつのコンピューターとして調和的な働きを産み出すオペレーティングシステムのことだと言える。

             

            このように考えれば、基底のあらゆる物質にはそもそも『純粋意識』が全き形で遍在しており、そのごく一部を、生命の存在意図が高密度に複雑化して私たちの『感覚』そして『自意識』を作り上げているのだという所まで、順番に記述できるだろう。(これに関する更なる記述:もう一匹の猫

             

            それはまた、通常、いち生命個体としての私たちの意識世界に現れるのは生命の設計意図に由来する意識機能としての感覚と自意識、というバウンダリーの内容物だけであること、そして『純粋意識』という精神世界の基質には直接触れる手段がないし、知覚することさえできない、ということを表してもいる。

             

            (”見る”という行為、その”視覚”それ自体がバウンダリーを形づくっている時に、どうしてバウンダリーの外側を”見る”ことができるだろうか? このように私たちの精神は、バウンダリーの中に完全に収納され、閉塞されているものなのである)

             

             

             

            JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

            2019.06.08 Saturday

            超実存による死の記述

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              『死』という現象を、超実存的に描写するとどうなるか。

               

              バウンダリーを構成する素材というのは、私たちの生命設計の中から必然に生じる各種の知覚内容である。

               

              例えば色、音、感触、匂い、味、そして並行感などの身体情報の感覚、これらがつまりバウンダリーの正体であると言えよう。

               

              先に述べたとおり、これらは私たちの『生命設計の中から』生じる。

               

              換言すればバウンダリー/境界とは、自らを維持存続しようとし続ける『生命の生存欲求』、存続への意図によって作り上げられるものである。

               

              つまり無生物はバウンダリーを持たない。

               

              (とは言え、ここでは詳しく述べないが、彼らには彼らなりの純粋意識のレベルの世界がある、ということを付け加えておく)

               

              そして生物の設計が複雑に進化していればいるほどバウンダリーも複雑鮮明に、また肉体のサイズが大きければ大きいほど、バウンダリーも大きなものになる、という単純な仮定を持っていて良いだろう。

               

              だからベーシスにおいて肉体が死滅するとき、バウンダリーはそれ自体の構成要素である知覚信号を途絶され、消滅するに至る。全ての部品を取り外され破壊された一脚の椅子が、もはや椅子とは呼べなくなってしまうのと同じである。

               

              肉体の死は、バウンダリーという一つの精神宇宙の、消滅の現象なのだ。

               

              今こうして目の前にある、ひとつの宇宙が消えること。

               

              実存的な『死』の記述とは、そのようなものである。

               

               

               

              JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

              2019.06.08 Saturday

              境界的学問と基底的学問

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                宗教思想とか神話などを読み解くにあたって、その実存的な側面についての表現と、論理的な社会の側面についての表現を混同してはならない。

                 

                宗教思想における『神』や『天』、『太陽』や『聖戦』などの観念は、私たちが社会的ないし歴史的に認識するところの観念と、語を同じくして別のことを述べる。

                 

                それもまた、その観念がより境界(バウンダリー)的なものとして言われているのか、それとも基底(ベーシス)的なものとして言われているのかという所に混乱の原因がある。

                 

                宗教や神話における実存領域についての知識は、往々にして、より境界的な世界観について述べている。

                 

                それを現代社会の科学的・論理的構造などに比較して検討していては、要領を得ないのは当然と言えよう。

                 

                超実存的に言えば、宗教や神話というものの大半は、バウンダリーに関する教学である。対比して、自然科学や人類史学などはベーシスに関する教学である。

                 

                境界は、それぞれ一つ一つが個別の宇宙を成す。

                 

                この見方の中で私たちが『人生』と呼んでいるものを表すとすれば、人生というものはそれ自体が、一つの宇宙の生成から成長、そして消滅へ至るプロセスである。

                 

                宗教や神話などの知識も、より多くこの境界の領域について語る。

                 

                例えば『聖戦』とは、人間がその精神の発達史の中で迎える、特別に印象づけられた発達課題への取り組みを指すかも知れない。

                 

                或いはまた、『天』とは単なる物理的な空や宇宙の事ではなく、バウンダリーの発展方向に一定の規則を投射せんとするベーシスの、ロジカルな性質を指すのかも知れない。

                 

                『死』や『創世』、『死後世界』、『世界の終わり』などの概念も同様に、ベーシスについて述べるときとバウンダリーについて述べるときとでは指している内容が異なるのだ。

                 

                私たちはこれまで、境界と基底を混同したまま、それぞれの世界観についての曖昧な表現を、同時並行に使ってきた。

                 

                超実存の理論を通してこのような混同を解くならば、生憎打ち捨てられてきた人類の実存的学問の功績を、私たちは改めて発掘できることだろう。

                 

                 

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                2019.06.08 Saturday

                用語の整理

                0

                   

                  少し、思想をまとめておこうと思った。

                   

                  超実存の理論の柱を成すのは、私たち一人ひとりの精神世界、そのそれぞれ一つ一つを、別次元から生成された個別の宇宙と見なす考え方である。

                   

                  このそれぞれに個別の宇宙を、便宜的にバウンダリーとか個別宇宙などと呼んできた。(バウンダリー:境界線を形成する境界内容そのもの、という意味)

                   

                  それと関わる別次元のより大きな宇宙の方(私たちが一般に宇宙と呼んでいるこの世界)を、物質宇宙という語で表してきた。

                   

                  が、思想が深まるに伴い、こうした言葉の微妙なニュアンスの揺らぎが、ノイズとして感じられるようにまでなってきた。

                   

                  そこで先ず、語の整理を行いたい。次のように規定する。

                   

                   

                  これまで個別宇宙、第一宇宙などの語も用いてきた私たち一人ひとりの精神世界(バウンダリー)

                   

                   → バウンダリー、境界

                   

                  これまで物質宇宙、第二宇宙などの語も用いて表してきた、一般観念における宇宙

                   

                   → ベーシス、基底

                   

                   

                  以上の通りである。

                   

                  私たち人間のパーソナリティは、べーシスから生み出されたバウンダリーの中で、言語的能力の補助も得て創発される。

                   

                  だから私たちは本能的に、自己のより大きな根源としてベーシスのみを拠り頼むような思想を作り上げやすい。

                   

                  がしかし忘れてはならないのは、私たちは常にバウンダリーを通してしか、ベーシスに触れることはできないという点である。

                   

                  私たちは言わばバウンダリーという個別の精神宇宙の中に閉じ込められており、そこに自己の存在の中心を置くことで、個体としての在り様を成している。

                   

                  ベーシスは、遠い王国(マルクト)のようなものである。それは地球や火星や水星という個々の惑星に対する”太陽”であって、私たちの宇宙のフラクタル的な原型でありはするとしても、私たちの宇宙(バウンダリー)そのものを直接規定するものではない。

                   

                  もしも私たちが超実存の理論を通して世界を見るなら、そのとき、私たち一人ひとりの精神宇宙は、多様で自由な形を取りうるものであることがわかるだろう。

                   

                  そして、ベーシスのみを根拠とする理論の限界によって、人と人とが、お互いの精神世界を尊重しあえないと言うことも、また減っていくはずである。

                   

                   

                   

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