幸い高じて
ある意味で、私たちが常に不幸であるのは、幸福についての期待値が高すぎるせいであるからだと思う。
特に昨今は、高度に情報化された社会。中味より外見ばかりが重視され、商品自体よりもその包装具合の方が私たちの関心を惹き付ける。
ある科学者がインドの伝統衣装を着て発表したことには何の興味も湧かないけれど、同じ科学者が有名デザイナーのスーツを着て同じ発表をすれば、テレビカメラが一斉にそちらにフォーカスすることだろう。
詐欺師も同じことで、最近では先ず真っ先にレンタルの車や服飾品で身なりを整えて、SNS上でお金持ちらしく振る舞うことが大事なのだと心得ている。実際にお金持ちになるのは、その後からで十分お釣りが来るという算段らしい。
普通のお店だってそうだ。大なり小なり嘘をつく。そういうのも、最近のこの社会では『マーケティング』と言えば努力賞をもらえる。
みんな、嘘をついている。みんな、必要以上に自分を飾っている。
そして見失っているのだ。嘘だらけの見栄の張り合いの応酬で、人間本来の姿がどんななのかなんて、もう誰にもわからないのかもしれない。
幸せの形も、分厚い派手なパッケージの中に埋もれて、消えた。
『やっぱ君らは贅沢だ。』と、頭の中で誰かが言う。
『昔は、朝起きて、今日まだ生きていることをお天道様に感謝したのだろう?』
『僕は19歳までしか生きなかった。自殺して、確かに不幸だったかもしれない。』
『でも今だから言うけど、死んでしまった僕の幸せも、まだ生きている君の幸せも、本当は何も変わらない。僕は君と同じなんだ。僕も君も、同じようにこの世界に生きたのだから。そしてまた僕も君も、同じように、やっぱり期限付きの命なんだ。』
『長生きしない人生はダメ、病気の人生もダメ、家が無い人生もダメ、いじめられる人生もダメ、ひきこもりの人生がダメ、苦しい人生は、全部ダメ・・・そんなの誰が決めたんだ?』
『そうじゃない。その証明が欲しければ、振り返って見ると良い。今まで、例えそれがどんな絶望の淵でも、君の命はやっぱり毎日輝いていたはずだ。』
『いや、もしかしたら、絶望の淵にあったからこそ、君は・・・』
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悟る人々
悟りを開く人々について。
この悟るということ。これは今まで人類にとって、特別なことだったと思います。
最初の智者がいつ何処で生まれたか、それはわかりません。その後紆余曲折を経て、我々の眼前にはっきりとこの特別な段階の人間が現れるのは、歴史の中のキリストやブッダの時代。
当然、先へ進んだ彼らはその知識と見解を世に広めるべく努力して、ちらほらとそういうものを受け継ぐ人々が世に現れてきた。
近代では、クリシュナムルティやラジニーシ、ラマナマハルシなどのインドの伝統を汲む聖者たち、それからマザーテレサやシモーヌヴェイユ、金子みすずなどの信仰を完成させた人々の姿があります。
少しずつ流れは加速して、だんだん人類の中にそういう人々が増えている。
そして幸か不幸か、まさにこれからのこの日本という国の中に、そうした文化が更に花開く土壌が実はある。
そういう潮流の鍵になるのは、俗に『氷河期世代』と呼ばれる人々なのではないでしょうか。
何ら劣る所の無い才能を、時代の気まぐれによってまっとうな経済社会で発揮する機会すら与えられず、世の中の隅に押しやられてきた人々。その人々は世界の不条理とか歪さ、信用するに足りない社会規範の本性などを、よくよく見抜いている。
泥の中に蓮が咲くように、茨の下に仔羊は捧げられるように、世界の悪の側面を見つめた人は、この世を本当に愛することができる人でもある。もしも善だけ見知ったが故に愛するのだとしたら、その人は世界の半分しか愛することができない。
俗っぽく言い換えれば「苦労は買ってでもしろ」ということですが、所詮自分で買った程度の苦労では、人間の人格は大して磨かれたりしない、という風に見ることもできるでしょう。
氷河期を生きた人々。決して少なくないその人たちの中には、次の段階に進む準備を整えている原石が、数多く眠っているに違いない。
平凡なはずの普通の人たちが、当たり前に悟りという段階に到達する。そういう社会で一体何が起きるのか、想像するだけでもぞっとするけれど、それはきっととても楽しい世界であることは間違いないでしょう。
歴史の中の実績を基に、個人的な素質を加味して考えると、私が智慧を開いた年齢はこれまでの人々より驚くほど早かったのではないかと感じる。
そこにもし何かしらの意味があるのだとしたら、それはきっと洪水の終わりを知らせる一羽の鳩が天から遣わされたように、早咲きの声を持って世に時節を知らせるため、なのではないかと、そんな空想をするのです。
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JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学
あやかしなるもの
今年の稲川淳二の怪談ナイトは、9月13日(香川)。こう書いてみると、だんだん夏が近付いてきたという実感が湧きますね。
昨年は色々と生活が忙しく見に行けなかったので、今年こそは、という思いがあります。
香川のホールで見るのははじめてですが、思えばこうして全国どこにいても、どこかしら近場で怪宴していただけるのは本当にありがたいことだと思います。
今年の舞台セットはどんなかな。それはまた講演が始まってからのお楽しみということで、洒落怖でも読んで期待を膨らませつつ、テンションを整えていきたいと思います。
昨年のツアー開始の挨拶。毎年お疲れ様です。今年もよろしくお願いいたします。
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JUGEMテーマ:心理学
内なる世界
昨日は、腹式呼吸の講座。前月の瞑想の講座からリピートしていただいた方もおり、本当にありがたいことです。
毎回、開講前にはテキストの内容を見直したりして知識のチェックをするのですが、その時にふと。
呼吸に伴う、肺と腹腔の連動のイメージ。この動作の仕組みを頭の中で思い浮かべるのですが、映像としてかなりリアルに想像できているなということに気付きました。
脂をまとった腹膜が押し出される時の、青黒い血管の歪みたわみ。30数度の温度を保つ霧に満ちた熱機関の中に、外気が流入して温まっていく様子。
何でその映像をリアルにイメージできるかというと、実際に見たことがあるからです。
首元から尾てい骨にかけてナタで皮膚を切り裂き、肋骨を割り外しながら、内臓を掻き出して、胴体を一枚のせんべいのように開いてしまう。その時の肉体の様子。
これは実は、私が山奥で地域活性の仕事をしていたときに、地元の猟師の方の計らいで手伝わせていただいた、イノシシの屠殺解体のイメージなのでした。
そのイノシシの胸腔/腹腔内部のイメージを通して、私は呼吸というものを考えている。よくよく思い返せば、納棺師をしていた頃もやっぱり、腹水の溜まり具合や、消化酵素による自家溶解を止めるためのドライアイスの置き方など、こういうものはその同じイメージを思い浮かべながら想像して対処していた。
それに気付いた時、我ながら『イノシシを基準に何でも人間の身体を考えすぎだ』ということを思って可笑しかった。
とは言えやっぱり、何かしらその経験が、”生物体内”というものに対する私の理解を深めてくれているのは確かなことでしょう。
スティーブ・ジョブズの有名な演説が思い浮かびますが、全くキャリアというものは、どこでどう繋がり活きてくるか、わからないものですね。
その有名な演説とやら。見返して気付いたけれど、この人も『死』について語っていたのだな。『今日死ぬ予定で生きる』。この現代の完成された死生観の中から、偉大なる創造性は生み出されていた。
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JUGEMテーマ:葬儀
要件貧苦
業種を問わず、資格関係の本を良く読みます。
でも、資格を取るつもりはありません。ただ『もっと知識があれば』と思って読むのです。
もちろん知識を身に付けて、資格でそれを保証してもらえれば一番良いでしょうけれど、教育機関での学習要件や、実務要件などが足かせです。学生ならまだしも、社会人なら2年も3年もかけるほどのことは無いだろう、と個人的には思います。
(シンプルに言ってしまえば、知識があっても、養成学校での履修記録等が無ければ試験を受けられない、というのはどういうものだろうか。それは悪く取れば学校側の悪しき利権なのでは。受験資格など問わず、試験そのもので受験者を振るいにかけさえすれば良いものを。)
決して、資格制度それ自体を悪いものだとは思いません。資格のある人にのみ業務を任せるということがあってはじめて、現場の、会社の、ひいては業界全体の品質向上ということが達成できるのですから。
がしかし、適材適所ということが場所以外にも時節にもあって、この人口減少の折、そういう品質維持的な考え方は自ら業界の首を絞めることに直結する危険があると思います。
雇用における資格要件、資格取得における学習要件、そういう”閉ざす門”の連鎖が、人材不足を深刻化させる側面を持つことは無視できない現実ではないでしょうか。
終身雇用制度の無くなったこの社会では、私たちは一生の内に複数の職業経験を持つことが当たり前です。4年制大学を出て資格を取得し、実務を経てまた別の業種へキャリアを移すとき、その業界で働くのに必要な資格を取得するためにまた2年とか養成機関に通うというのでは、スピード感がとても話にならないように感じます。
仕事の方は私たちを今か今かと待っていて、現場は恒常業務だけで汲々、お客さんはいらいら、会社は会社で人手不足倒産にびくびくしているのですから。
(資格の再取得に時間がかかるなら同じ職種を選べば、と思うかも知れないが、例えば納棺師の現場での寿命は35歳位だと言われる。今はもっと年齢が上がっているが、何にせよ時期を見て管理職になるか、その道がなければ別の職業への転向を考えねばならない。このように年齢によって選択業種は否応なく変わっていく。)
そういうわけで、世相の流れを見れば、いずれこの資格要件というものは大手企業が率先して解禁していくことになるだろうと思います。(きっと中小企業はそんなリスキーな判断はしないものだろう。)
すると異業種人材が人員の不足部分に流れ込んでくるので、悪い慣行の打破など良い部分もありますが、反面、教育費がかさんでOJTの重要度が増してくる。
OJTの重要度が増すというのは、既存社員に教育者としての業務と責任とストレスがのしかかってきて離職リスクが高まるということですが、これ、なんだか、地域包括ケアシステムとか共生社会とか、現在の福祉行政、セーフティネットの方向性とすごく似通っている部分がありますね。
要件貧苦、逃げ場無しです。全くお国あげての貧乏というのは、嫌なものですね。
節約の話などすると、また経済学の人たちに怒られてしまうかもしれない(日本の経済学者の間では、"緊縮"とか"均衡"という言葉を聞くとヒステリーを起こす病気が流行っているのだ)。でも、時々思う。経済学って複雑すぎていつまでも答えが出ない部分があって、なんか後出しジャンケンみたいになってきてないか、と。
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JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学
種の折衝、種の共生
地球の新しい支配種族である経済システムは、人類をどこへ導くのだろう。
彼らは人間の『経済欲求』をインフラストラクチャー的に調整して、資本流体上の生命として半ば物質的に、また半ばデータ的に世界全体に根を張っている。
今のところ、私個人の雑感によれば、それは私たち人類のエネルギーを掠め取り弱体化させ、人類種をやせ衰えさせるような動きを見せているように思える。
しかし、彼らにとっての栄養が私たち人間の欲求である以上、その動きは人間世界の破綻と縮小に伴って必ず不活化し、いずれは人と共に息絶えるということにならざるを得ないだろう。
人類史の西暦2019年3月9日、地球では、この私たち人類のエゴイズムと経済システムという上部構造のエゴイズムとが、併存し、衝突し、お互いを傷付け合っている。
その共存如何。
蟻と、蟻牧のように、私たちは手を取りあえないものだろうか。
経済システムが持続可能な命を持つためには、経済効率のメソッドの中で自己の主体性を見失うことのない、世界創造的な強靱な欲求を持った新人類が、健全な経済欲求をシステムに供給し続けなければならない。
人が貨幣や資産それ自体の獲得や増大を最終目的として生きはじめれば、経済は線的に硬直し必然的に失速するだろう。
奴隷は本当の意味では、主人に何かを与えてくれることはない。その時主人は、自分の持ち物を使っているだけだからだ。
しかし、本当に何かを与え合う関係があるとすれば、その関係を私たちは、多分『友人』と呼ぶのだろう。
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ノーリフト介護とノーベンド農業
農業をろくにしたことも無い私が、農業について思うこと。
とにかく農業って、辛いイメージが多いですよね。ひたすらキツくて、収入は少ない。そういう感じ。
でも何かそれって、何となく、因習を打破して先に進めていない、みたいな印象が強くあります。個人的にはですが。
仕事っていうのは、どんどん楽にしていくもの。キツいならキツいで、そのキツい部分を積極的に解消して効率を上げていくのが当たり前の思考、というのは皆さん納得していただけると思います。
(今ある難しい仕事をひとつひとつ簡単な仕事に変えていくことではじめて、次の案件を受注したり、業容を拡大したりしていくことができるのだから。)
でも何だか、農業は楽になっていかないな、大変だな、誰にでも出来ることじゃないな、一次産業なんて大事そうな感じするのに、何の役にも立ちゃしない投機の世界に比べたら全然勢いが少ないよな、とそんなことを思うわけです。
一時期、ひきこもりの人達に一次産業(特に農業)をしてもらって、生きる自信をつけてもらうようなビジネスモデルが出来たら良いのに、と考えたことがありました。
(食料確保は大きな自信を育みます。現代人のほとんどは、自分では食べ物を生産できないから、嫌でもビジネスに参加して貨幣を得るしかないのです。)
それを思ったときに、じゃあひきこもりの人たちは、豊かな自然の中、温かい土を踏みしめ空一杯の太陽を仰いで、元気いっぱいに農作業をしてくれるだろうか、ということをちょっと考えかけましたが、すぐにそんなのは有り得ないことだと悟りました。
それで、じゃあそんならということで、水耕栽培をして行けば良いかな、ということを思いついたのです。温度管理された工場内の作業で、外に出る必要もなければ、そこの仕事に参加できる人はぐっと増える・・・。(しまいに水耕栽培だけではなく、巨大なテラリウムの中でのダイナミック自然農法、というところまで妄想は広がったのですが)
経営とか採算とかそんなものは度外視ですが、少なくとも、こんな視点が少しくらいは必要だと思います。農家の方の中でも、若い女性陣が率先して、ファッションを素敵にすることとか日焼け対策を真剣に考えたりとか、農業をもっとストレス無く、ちゃんと苦しくない仕事にしようという文脈は生まれているようで、頼もしい限りではないですか。
”畑”が変わって、介護の業界を見ると、最近は『ノーリフトケア』なんてものが盛んに言われていますね。ノーリフト=(人力で)持ち上げない、介護者の負担の少ない介護。
今の時代はすでに人員の維持獲得はどのビジネスでも厳しくなっていて、この先も悪化の一途でしょうから、ただでさえ人手不足が隠しようもなくなっている介護業界では、介護者の負担を考える、というのは絶対になくてはならない視点だし、もっともっと推し進めなければいけないことだとも思います。
介護がノーリフトなら、農業は何だろう、例えばノーベンド(しゃがまない)とかどうでしょうか。一次産業の主役は、これからは一旦キャリアをリタイヤされた方、65歳以上の方などが主力になることは避けられないでしょうから、足腰への負担は気になるところです。そんな面からも、やっぱりますます、農業だって楽にしていかなきゃいけないと思います。
それも、ちょっとやそっと楽にするぐらいではきっとだめなのです。『最近安くて便利な機械とかが増えたから、農業って、めちゃくちゃ楽やん!』というぐらいを目指していてようやく、ああ何とかなったぞと。そういうスピード感が必要ではないかという気がします。
魚を飼育して水の養分を回復させながら水耕栽培を行う"アクアポニクス"の工場。あんまり細菌管理された閉鎖型の植物工場はちょっと怖いから、これくらいの雰囲気が良いかな。
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種の折衝
経済というものを考えれば考えるほど、私の中で、それがひとつの有機的な生命、ひとつの生物種なのだという実感が深まってきます。
経済システムは、人間という培地を用いながら、すでにこの地球上で一人歩きし始めている。誰もそれを止めることはできない・・・。
構造上、それは人間よりもより上位の種族であるということも言えるでしょう。
例えば大腸菌は私たちの体内でひとつひとつ生息しているけれど、見方を変えれば、大腸菌は私たち人間のあくまで一部であって、彼らにとっての上位種は宿主である私たち人間である・・・そんな風です。
また、このことを考える時に、私は私自身が、どれだけ人間よりの人間なのかということにも思いを馳せずにはいられません。
即ち、場合によって大腸菌は人間の体内バランスを調整するために利用され消費されていくのであって、であれば私たちも同様に、経済システムに利用され消費されるために存在している、人間のためというよりもむしろより多く経済システムという上位種に貢献するために存在している、のではないかという疑念が晴れないのです。
とは言え疑念を持とうが持つまいが、大腸菌が人間の生き方にケチをつけたり、それを修正しようと試みたところで何ができるわけもなく、とんと意味のないことではあるのですが。
ホモサピエンスと、経済システム。地球の暖かな海から生まれたDNAの中の霊長と、人間という熱く混沌とした”DNAの海”から生まれた、新しい有機体。これらの種族間関係が今後どうなっていくのか・・・。
もしかしたらこの新しい種は、発生後間もない今日すでに人間という生態系の中に飽和してしまって、伐採しすぎた山のように人間社会が使いつぶれてしまった現状を呆然と眺めながら、どうやってこの不毛の大地を復活させ、新しい持続可能な方法を見つけ出していこうかと途方に暮れているところかもしれません。
何せこの新しい種族にとって、私たちホモサピエンスは、水や空気のように、絶対に替えの効かない前提的存在なのですから・・・(それとも、或いは?)
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なんと幸福な人々
本日は昼から、定期的に通わせていただいているグリーフワークかがわさんの公開セミナーへ。
その後美術館のカフェで休憩。ホットケーキのセットを頼んで一息つき。
ふと思うのは、今日の私たちの生活というものは、何と豪奢で豊かだろうかということ。
頼めばいつでも好きな料理が食べられ、望めばすぐに温かいお風呂で十分なお湯に浸かれる。着るものと快適な居室を探して苦労することも無ければ、おおよその病についても適切な医療を受けさせてもらえる。
仮に私たちが、10世紀の頃のどこかの国の王になれると言われたとして。そうでなければ現代の平凡な日本人だとして。
どちらか選べと言われたら、一体どちらを選ぶ方が豊かだろうか。
世界は豊かになった。遥かに便利になった。それでなお皮肉なのは、世界がどれだけ便利になろうと、技術がどれだけ発展しようと、人間一人ひとりは、ちっとも幸せになんかなれはしなかったということ。
或いは幸せに成れたのかもしれない。ただ単に幸せに慣れたのかもしれない。
だけどそれならそれで、事態はなお良くないのだ。
だってもしも人間が、どんな幸福や豊かさにもいずれは慣れてしまう生き物なのだとしたら、その欲望の行き着く果ては、底なし沼のようにぽっかりと空いた、永遠に暗い『退屈』という名の檻だけではないか。
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go for broke
何の認可も承諾も無いものをそう言って良ければ、一人の”ロゴセラピスト”として、私はいつも物事の『考え方』というものをより多様に発展させようと努めてきました。
価値観を拡張する過程で、私は自分が人間であるという前提や、通常私たちの精神を取り囲むであろう、この社会という小さなシステムの固定観念の枠組みを、積極的に破壊してきたのです。
結果として私は、良い側面として人の世の中のおよそほとんどの物事を許容できるようになりました。殺し合い、憎み合い、盗み合う、そんな人間の愚かさや救いの無さを含めて全部を受容するということは、恐らく一般的には難しいことでしょうから、それはそれでずいぶん益のあることではないかと思います。
反面、悪い部分としては、人間の世界についての素直な感動をかなりの程度失ってしまったのだという風にも感じています。
せいぜいが二万年、このたった一つの宇宙の中ですら、未だ飛沫のような時間しか生きていないこれら人間という小さな猿の群体が、必死に考え作り上げてきた社会というもの全体。
そういう社会というもののつまらない価値観や不完全な倫理基準、愚にもつかない権威など、それらを冷笑するための自我のヒリヒリするような不安感さえ、いずれ感じなくなっていくのかもしれません。
こんな考え方をしていれば、人間社会の中ではある程度の制限を受けはするでしょう。しかしそれはそれとして、私には人間の価値観を拡張するという仕事があるのです。私はその立ち位置、与えられた存在の役割に、あくまで殉ずるつもりです。
きっとこれからも、色々な人を私は不快にさせていくのでしょうね。だからこそ、『悪気はないんです。ごめんなさい。』ということだけを、予め。
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