2018.12.05 Wednesday

『問う故に迷う』

0

     

    『問う故に迷う(とうゆえにまよう)』

     

    ”何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ”

     

    聞きなれたこの歌詞、言わずと知れたやなせたかしさん作詞「アンパンマンのマーチ」の一節です。

     

    皆様はどうでしょうか。何のために生まれて、何をして生きるのか。そう問われたらどうお答えになるでしょうか?

     

    はっきりとお答えになる方もいるでしょう、また、うーんとうなって、考えこんでしまう方もいるでしょう。

     

    さあ、あなたはどうですか。

     

    答えられますか、答えられないのですか。

     

    ・・・いいえ、良いのです。答えられなくとも。答えられずとも、私たちは生きている。時間は巡る、身体は確かに落ち着いてここにある。日は昇り、夜は来る。時代は経巡って、山中に水滴は垂れ、その水滴に種は芽吹き、獣と共に育って、いずれ大樹ともなる。

     

    地球は起こり、命は駆け巡り、例え太陽系の全てが塵と消える日が来ようとも、銀河はなお生成消滅を繰り返し、そこに星があり、或いはまた生命や文化もでき、時間は経巡り、宇宙はそれ独自のリズムで動き続ける。

     

    問う故に迷う。禅語のことです。別の似た言い方をすれば、『謎のまま謎を行ずる』。

     

    ”答えられないなんて、そんなのはいやだ”

     

    実はこの歌詞、少し西洋的な思考回路の所産なのですね。そしてしばしば、そういう思考というのは問題を自分から大きくするばっかりで、確かなことは何も教えてはくれない、ということがあるものです。

     

    わからないで良い。わからなくとも、こんなにしっかりと生きているのだ。言葉でわからないからといって、それがどこかへ消えて行ってくれようか。そうではない。重く苦しい現実だって、目を閉じたら勝手にどこかへ行ってくれる、などということはないのだ。それはある。確かにある。

     

    謎のまま謎を行ずる。私たちの生き方生活の、そのなんと疑いようなく真っ直ぐなことであろうか。

     

    問う故に迷う。そうだ、問うてから迷い始めたのだ。最初から、答えはいつもわかりきっていたというのに。

     

     

     

    ブログランキングに参加しています。

    クリックで応援をお願いいたします。

    ブログランキング・にほんブログ村へ

     

     

     

     

    2018.12.04 Tuesday

    『和而不同』

    0

       

      『和而不同(わじふどう)』

       

      論語より。「 君子和而不同 小人同而不和 」君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

       

      優れた人はその場に調和をもたらすけれど、考えなしに周りに同調したりはしない。未熟な人はなんでも簡単に周りに同調するけれど、それでなおさら場が乱れていってしまう。

       

      世の中というのはたいてい、長いものに巻かれていれば、大きいものに従っていれば楽をできる、ように見えるものですね。

       

      しかしそうやって一人ひとりが、問題に向き合う自分自身の責任から目をそらして、無責任を組織や上役のせいにしていけばいずれは、組織は無責任の集合体となって、「もうどうしようもない」という疲労感や絶望感だけを振りまく存在になっていってしまいます。

       

      何でも同調しておれば、従順に深い忠誠心を持っておれば、物陰に隠れていれば、信頼されてさえいれば――

       

      いつだったか、何かのビジネス書で読んだ小話です。

       

      かの有名なビル・ゲイツが、ある非常に優秀な部下をずっと昇進させずにいるのを知って、別の人が何故なのかと質問したそうです。するとゲイツ氏は「彼は何でも言うことを聞くけれど、自分の意見を言わないからだ。」と答えたとか何とか。

       

      世の中の難しさは、本当に、一言では言い尽くせぬものです。

       

       

       

      ブログランキングに参加しています。

      クリックで応援をお願いいたします。

      ブログランキング・にほんブログ村へ

       

       

       

       

      2018.12.02 Sunday

      『和顔愛語』

      0

         

        私ももう、年齢32を数えるいっぱしの人間である。

         

        熱意はあれど、現実できることできないこと、また人の営みの歪みや理不尽のようなものも、この身に染み込んで重たい感じがする。

         

        本当に、できることはなんだろうかと考え巡らして、和顔愛語、せめてこれくらいはと思うが。

         

        誰に向けても分け隔てなく、親しい笑みと、柔らかい言葉。

         

        どうせ何にもできないのだ、せめてこれくらいは、したいなぁ。

         

        だけど、せめてこれくらい、ができないのだから、またそれも物悲しい、ような話ではある。

         

         

         

        ブログランキングに参加しています。

        クリックで応援をお願いいたします。

        ブログランキング・にほんブログ村へ

         

         

         

         

        2018.10.25 Thursday

        『忘己利他』

        0

           

          『 忘己利他(もうこりた)』

           

          自分のことは忘れて、他人を助けるために尽くしなさい、という言葉。仏教より。

           

          利他業とか、奉仕、という修行は世界中どの宗教にも見られるもの。

           

          それはある意味では、個人が自分の強欲な人格を削り落とし磨き上げるためにするべきこと。またある意味では、私たち人間がこの世界で調和して生きていくために必要な、道徳であり慣習。

           

          人間は、動物のように裸でそのへんを歩き回るわけにはいきません。

           

          それと同じことで、私たち人間種の生物は、他の生物に比べると非常に高いレベルでエゴイズムを発揮する能力を持っているため、その能力をむき出しで振り回せば、最初は身の回りの環境や仲間たちを破壊し、いくいくは自分自身が生きていく居場所すら破壊してしまうことになります。

           

          なので、利他。困っている人を助けたり、絶滅しそうな動物の居場所作りをしたりして、自分たちの強すぎるエゴイズムのバランスを取らなくてはならないでしょう。

           

          こういうことを突きつめていくと、なるほど利他というのは、つまりは自分自身のためのことであるとわかります。

           

          自分のために他人を利する。それは自分のためなのやら、他人のためなのやら。そのへんの境界線を見極めようとすればするほど・・・終いに境界線など最初から無かった、ということに気付かされてしまうかもしれませんね。

           

          境界線であるとか、我と彼との区別であるとか、そういうものがなくなってしまうところまで来ると、もはや忘己利他ということもないでしょう。これはもう禅問答の世界、ということに。

           

           

           

          ブログランキングに参加しています。

          クリックで応援をお願いいたします。

          ブログランキング・にほんブログ村へ

           

           

          JUGEMテーマ:ことわざ・慣用句・四字熟語

           

           

          2018.10.18 Thursday

          『先義後利』

          0

             

            『先義後利(せんぎこうり/せんぎごり)』

             

            人としての道義を通して、その後に利益をいただくこと。

             

            もっと簡単に言えば、先ずはお客様の役にたって、その後で利益をいただくのですよ、という考え方。

             

            美しい、洗練された考え方ですね。しかし無謀で狂っているとも言えます。特にこのような混乱した社会に生きている私たちにとっては。

             

            先義後利。利益は後回し。一歩間違えば、自分の利益ばかりを追い求める盗人たちに義理だけをかすめ取られ、その私腹を肥やすだけ。そうならない為には最初に正当な対価を確定しておかねばならないでしょう。

             

            難しいのですね。難しいのです。

             

            先義後利が通用するのは、私たちの社会通念の中に“利益追求の卑しさ”とか”他人に迷惑”とかの考え方が育っている間だけ。

             

            共通的な社会通念という、大きなものによって価値基準がラッピングされている間にだけ、適応可能な行動規範なのです。こういうものは他にもたくさん有ると思います。

             

            そしてその共通的な社会通念、あるゲームにおけるルール全体、が破綻してしまうと、先義後利というこの『特定ゲームにおける洗練された勝利法則』もまた破綻してしまいます。

             

            逆の考え方をすれば・・・共通の価値基準を共有できる他者ないしグループ内であれば、先義後利は堅実な行動規範となって私たちを良い環境に導いてくれることでしょう。

             

            その為には、ウチとソトを切り分けなくてはなりません・・・が、これもまた悲しい話です。

             

            私たち人類の文明は、まだまだ未完成。この21世紀の前半は、生憎、マイケル・ジャクソンの歌のようにはなれないようです。

             

             

             

             

             

            ブログランキングに参加しています。

            クリックで応援をお願いいたします。

            ブログランキング・にほんブログ村へ

             

             

             

             

            2018.10.17 Wednesday

            『自灯明』

            0

               

              言葉のこと。

               

              『自灯明(じとうみょう)』

               

              自らを灯りとしなさい。という言葉。これは釈尊が晩年に残された言葉だとされています。

               

              意味合いとしては、自らの心そのものを導きの灯りとして、進んでいくのだ、ということ。社会にはたくさんの常識とルールがあり、認可というものや、地位名声などが溢れていて、私たちは実にそれらのものに圧倒されがちです。

               

              しかしそうした溢れる情報の中から、何かひとつを選ぶこと。どれが良いものでどれが悪いものかを判別し、選んでいくその最終決定は、結局のところ私たち自身の心に委ねられています。

               

              何が良いもので、何が悪いものか。それを選んで決めるのは自分自身である。

               

              判断して、見極めて、選んでいく。そのためには、自らの心の灯りは、強く大きくあるほど良い。

               

              世の中は果てしない暗闇です。小さな灯りでは心許ない。心の灯りを大きくするには、広く世界を見て、深くまで物事を味わうことではないでしょうか。

               

              過剰な情報化社会、商品を置き去りにして暴走するマーケティングの技術、それに比例して育てられていく私たちの人生の『無価値感』。

               

              心の灯、消えてしまいそうにはなっていませんか。こんな時代だからこそ最後に頼れるものは、やはり、自分です。自灯明ということを心がけて、強く生きていきたいものですね。

               

               

               

               

              こちらは関連する曲として。自灯明は原語では”灯”ではなく”島”。『自分自身を島=寄り所としなさい。』でも”灯”の方が、”希望の灯”などを連想するので私は好きです。ニュアンスは少し大乗風に変わりますけどね。

               

               

              ブログランキングに参加しています。

              クリックで応援をお願いいたします。

              ブログランキング・にほんブログ村へ

               

               

               

               

              2018.10.15 Monday

              言霊幸ふ

              0

                 

                ロゴセラピーの語源は、ロゴス+セラピー。ロゴス療法。

                 

                ロゴスとは、秩序や理性、論理、或いは”天”とか神とか言われることも。

                 

                そしてロゴスの最も代表的な形は、”言葉”。

                 

                「はじめにことば(ロゴス)があった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった。」

                 −ヨハネによる福音書 1章1節

                 

                言葉は、形を与えるもの。形の中に主体は宿り、主体同士が関わることによって、意味は作られていきます。

                 

                さほどにロゴセラピーにおいては、言葉というものが重要な役割を担っているということです。

                 

                なんてもっともらしい前置きをしましたけれど、ブログのネタを増やそうと思いましてね、今後は格言とかことわざについても書いていこうと考えているところなのです。

                 

                ことわざだって、心理的に見ればとても意味深いものですよね。物事の関係性を捉えなおすリフレームの機能があったり、時にはそれは、人に防衛機制を効率良く学ばせたり、その働きを自覚させるためのストーリーの形式を持っていたり。

                 

                それでは、本日より追加されます当ブログの「ことだま」カテゴリーに是非ご期待ください。

                 

                 

                 

                ブログランキングに参加しています。

                クリックで応援をお願いいたします。

                ブログランキング・にほんブログ村へ

                 

                 

                 

                 

                Calendar
                     12
                3456789
                10111213141516
                17181920212223
                24252627282930
                31      
                << March 2019 >>
                【 ランキング参加中 】


                Webサイト
                夜ルコト 心理ワークス https://yorukoto.net
                Selected Entries
                Categories
                Archives
                Mobile
                qrcode