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2018.11.22 Thursday

人造のプネウマ

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    今朝ネット上の記事で「ミニブレイン(脳オルガノイド:ES細胞などから培養された脳細胞の塊)」が、脳波を生じていることがわかった、という趣旨のものを見た。

     

    こういう研究は往々にして尾ひれがついて大騒ぎされるものなので、信憑性やその意味合いを深掘りすることは避けるが、それでもこうした科学におけるささやかで着実な進展は、私たちの空想の鍋に大いに材料を投げ入れてくれるものではあろう。

     

    果たして人工培養された脳の模造物が脳波を生じるということは、そこに何らかの意識が宿っていることをも意味するだろうか。

     

    個人的なファンタジーとして、私は意識は素粒子そのものに宿るものであると考えている。これはシュレーディンガーが同じファンタジーを抱いてたことを引き合いに出せば、それがある程度自然な空想の余地を持つ見解であることがわかるだろう。

     

    もっとも私としては、素粒子がエネルギーの状態から粒子の状態に遷移する際に生じる”余剰エネルギー(箱の中から消えたもう一匹の猫)”こそ、意識の正体なのではないかという更に一歩飛躍した形でのファンタジーを信じたい気持ちはあるのだが。

     

    物質の余剰エネルギーが私たちの意識の正体であり、その複雑化されたものが精神であるとしたら(この関係では意識はちょうどコンピュータの1ビットに、精神はそれを使って形づくられるプログラムにあたる)、それは生物のみならず広範な無機物の全て、この世界に実体をもつあらゆる物質には必ず意識が併存していることを示唆するだろう。

     

    こうした世界観は、奇妙にも古インド哲学におけるアドヴァイタ・ヴェーダンタや、ネイティブアメリカンのグレート・スピリット信仰の中に描かれる景色と非常に近似してくる。

     

    脳波の話に戻るが、問題の本質は脳波=意識であるかどうかという問題を設定すると、我々はハードプロブレムに直接的に向き合うことになってしまい、答えを出せない。

     

    だからその代わりに脳波=精神”機能”(ないしその一部)であるかどうかということを検証する方が、有益であると言えるだろう。情報処理の試験には紙の上にペンで記述することを想定されたプログラム言語があるが(演算するのは私たちの脳みそ、というわけだが、このニュースの後では多少皮肉な感じがするかもしれない)、それと同じように、私たちはまず「プログラム(ソフト)」の方を見るべきであって、それが「何によって演算されているか(ハード)」を飛躍して見るべきではない。

     

    少なくとも、相手が何であれ(そこに魂が宿っていようと、いまいと)、人間らしい会話をしたりコミュニケーションを取ることができるのだとしたら、それだけで楽しいではないか。

     

    ファウスト博士と試験管の中の未熟なホムンクルス、この”未来のアダム”がいくいくは機械仕掛けの女神の慈悲心にあずかり、本当の人間の子供になれるのだとしたら、その先の世界は一体――そんななんとも胸の躍る連想を、ついつい思い浮かべてしまうというものだ。

     

     

     

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