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2018.11.25 Sunday

Dilution Index

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    時々、こんな夢を見ます。

     

    数人の男女が草原を走り回っていて、口々に何かを叫んでいる。それは私たちの知る言葉ではなくて、良く見ると彼らは、身なりも動きも非常に粗野な、原始的な様子をしている。

     

    彼らは地球に生まれたばかりのホモ・サピエンスの最初の一家族で、その時まだ人類は、この地球上にたった5人しか存在していない。

     

    彼らは活発に走り、無邪気に振る舞い、とても自由で、自分たちが何か特別な生き物だということを深く実感している。

     

    彼らは壮大な夢を描き、世界の何もかもは豊かな発見と発明に満たされ、自分たちの手によってどんどん開かれていく。しかも尚、その広さと深さ、そして精緻霊妙な作りは途方もなく、彼らの描く夢の全てを飲み込んで芥子粒のように小さくしてしまう。

     

    地球上にたった5人のこの人間たちはみな、自分のことを「神」だと思った。少なくとも、その系統に属する何かであると。

     

    時が経ち、血族が増え、広まり、分断されつつも、個々に増殖する家々が起こり、部族と争いの歴史がそのまま、国家と戦争の歴史へと発展していく中で、確実に、しかし誰にも意識されることなく、何か大切なものが薄れていった。

     

    人間の頭数が30億を超える頃には、もはや誰一人として、彼らは自分を「神」だなどとは思わなくなった。

     

    −−−−−−−−−−−−−−

     

    さて現代の私たち日本人は、特徴的な思考の不具合をみな抱えています。それは“自分では何もわからない病”みたいなものです。

     

    物事というのは何も、自分にはわからないし、わかるとしたら必ず有名な誰かに教わらなければならないし、常に正確な学識を誰かが持っているはずで、だからこそ自分では何も考えたり思いついたりしてはいけない、ということなのです。

     

    学問に限ったことではありません。これは日常生活のこと、人間関係のこと、ビジネスのこと、作業や芸術や家庭や自己実現における私たちの特徴なのです。

     

    例えば学問などというものは、根本的に認可など必要のないものです。学びました、理解しました、そんな証明はあくまで商品選定上の補足情報であり、技術や知識そのものではありません。(私は資格や証明などの習慣を批判するつもりはなく、あくまで、学問とは何かを今考察しています)

     

    学ぶことで、賢くなり、それで自分や他人を幸せにする。たったこれだけ。このどこに資格機関や認可機関の入り込む余地があるのでしょうか。

     

    恐らくそうしたものは、私たちのより”経済的な”生活の為に必要なのです。あらゆるものを経済化するために。

     

    だからこそその弊害として、この世界のあらゆる経験を通して、自分一人の頭で何かを考え、学び、理解しうるというヴァナキュラーな(この言葉は最近覚えました)人間の能力は、非経済なものであるが故に、衰弱していってもいるのでしょう。

     

    ただ、ちょっと視点を変えるだけで、取り戻すこともできるのですよね、こういうものは。例えばロゴセラピーなどはまさにそういう視点操作にはうってつけ。ご興味のある方は、メンターシップのご依頼などいただければ懇切丁寧にお教えいたしますので、是非(という宣伝)。

     

     

     

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