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2018.12.08 Saturday

The self cannot be self without other selves.

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    統合失調や神経発達の問題はなぜ解決されないか。

     

    完結に答えを述べると、それは、現代の私たち人類が”私”とは何であるかを知らないせいであると思う。

     

    前述の問題を抱える人々が私たちの社会に投げかける問題は、言い方を変えればこうだ。

     

    『 非常に知的水準の高い人々でさえ、社会不適合を起こしてしまうのはなぜなのか? 』

     

    つまり私たちの社会は、一人ひとりの人間に対して、”知能”以外の何かを、人間に必須の素質として要求しているのだ。

     

    一体、それは何なのだろう?

     

    「それは共感性だ」と言う人もいる。「記憶力だ」という人もいるし、脳内の表情認識や報酬系の問題だと考え、包括的な素質としての”心の理論”というものを提唱する人もいるけれど、答えはまとまっていない。

     

    私が空想する限りでは、”私”というものがその鍵であると思う。自己。自意識。一人の人間としての線的な一貫性。

     

    ”私”という境界線によって自/他は分けられ、そこに他者を慮る余地が生まれ、また”自分の責任”という考え、つまりは罪悪感や反省、自己変容の能力などもはじめて生じることができる。

     

    けれど、本当に想像できるだろうか? つまり私はこう言っているのだ。

     

    『 世の中には、”私”という自己を持たぬ人々がいる 』

     

    ”私”を持たぬ人。そんなことがあり得るのか?

     

    あり得る。例えば”自閉傾向”というのは、貝のように自分の中に閉じこもる状態を指すのではない。他人に興味を示さない人が居る一方で、他人と良く話し、親密すぎるぐらい親密に接しようとする人もいる。本質的に言って、彼らは”自分と他者”という線引きをしていないだけなのだ。

     

    彼らが”自分の中に閉じこもっている”ように見えるのは、(ああ、なんと皮肉なことだろう)私たち自身が、自分の中に閉じこもり、”自分”と”他人”というコンセプトを通してしか、他の心を理解できないからなのだ。

     

    ”私”というものは、虚構である。これは私が仏教的な理論を学んでもいるので、そのように考える。

     

    さらにこう発展させたい。”私”というものを、現代の私たちは無条件の前提としすぎる。だから他の心の形を理解できないのだ。

     

    精神科医や心理療法家でさえも、”私”というものは誰にでも備わっていて当然、と考えるなら、どうしてそれを持たない人々の行くべき道を整えてあげられるのだろうか。

     

    ”私”というのは虚構である。それは獲得することができるし、看破し捨て去ることさえできる。はじめから獲得しない、ということだって、十分にあり得よう。

     

    ”私”というのは虚構である。そんなものは存在しない。嘘だと思うなら、考えてみれば良い。

     

    ”私”とは何か? その境界線は? 絶対条件は?

     

     

     

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