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2019.01.09 Wednesday

宗教の役割

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    率直に言って、近代宗教に不足しているものは、前向きさだと思います。

     

    元気が無いとか気持ちが暗いとかそんなことを言っているわけではなく、私たち人類にとって伝統宗教とは、常にどこかしら受動的なものであった、ということを言いたいのです。

     

    災害や病気などの自然の厳しさをどう受け止め、その中で私たち人間はどう幸せになっていったら良いか。こういう話はいかにも伝統宗教の得意とするところです。

     

    しかし現代、人間種の文化文明が高度に発達し、先進各国で生活の苦しみというものが全体としては薄まっていく中で、物質的充足の中で、もはや伝統宗教は「このようにして苦しみに耐えていこう」と発言する場を失ってしまったのではないでしょうか。

     

    現代の苦しみは、受動的な苦しみではありません。受動的な所では、私たちは充足しているのです。

     

    問題は、積極的なところ、前向きな所にあるのではないでしょうか。

     

    すなわち私たち人間種の生物は、この宇宙この世界で何を成して行けば良いか。個々人は個々人の生活を守りながらも、その中でどのように魂の真実を追い求めて行けば良いのか。

     

    生きる意味は何か。この問題についての伝統宗教の答えは、総括して言えば「意味はない」ということになるのではないでしょうか。これはこれで途方も無い知的洗練の末に獲得される叡智ではあると思います。

     

    がしかし、話はそこから先なのです。意味が無いなら無いで、その先を、私たち人間はどう生きるべきなのか。

     

    生きるように生きる、というような哲学的なことではなく、「このように生きよう」という啓示が私たちには必要なのでは無いでしょうか。

     

    この問題に関して私が持つコンセプトは、”創造性の世界”というものです。

     

    制御ではなく、創造。技芸を学び、その持てる全てを尽くして、自らの魂の欲求をこの宇宙というキャンバスに表現していくこと。与えられた経験を自分というフィルターを通して、もう一度世界にぶちまけてやるということ。受動ではなく、積極に生きていくこと。

     

    人生はアート、と言うのは国内でもPL教団などがすでに述べていることですが、私は文脈としてはクリシュナムルティやラジニーシのような、自由思想家の延長でこれを考えたいと思います。単純な話として、宗教組織は組織である以上、理念と目的と責任を持ち、それ自体が精神の創造性をある程度失わせる原因にもなるからです。

     

    くどくど言いましたが、つまり簡単に言えばこういうことです。

     

    『 先生、私こうして生まれてきましたけど、一体何したら良いですかね? 』

     

     

     

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