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2019.01.26 Saturday

せめて目を逸らすことなく

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    人から良い教えを受けた経験、というものがあるでしょうか。

     

    なかなか人生、生きていても頻繁にそういうことがあるわけではないのですが。

     

    実は私は一度だけ、その後の自分の生き方を左右するような教え、というものを受けたことがあります。

     

    それは何も特別有名な人から言われたことではなく、どこにでもいるような専門学校の講師の方から言われたのです。

     

    曰く、『例え大切な人が目の前で苦しんでいるとしても、その様子に影響されて右往左往するような人は、その人を助けることができない』。

     

    この話を聞かされた時、若き日の私の胸の中で、何かがすっと解けるような感覚が確かに生じたのを覚えています。

     

    この金言はその後私の人格パターンの中に深く定着し、刮目、つまり目を開けて見ていることについての一種の信念へと成長していきました。

     

    目を開けて見ていること。

     

    ドストエフスキーの思想に影響を受け、黒澤明が阿弥陀仏の眼差しを通してそう描いたのと同じように、この世界の残酷な部分に対する確かな眼差しを持つこと。

     

    人間の狂気と強欲、怠惰と無知の全てを心中に抱き込むのだという信念。

     

    それが私のこの世界に相対する上でのスタイルであり、私というひとつの魂にとっての、取り外すことのできない骨格であると言えるでしょう。

     

    『例え大切な人が目の前で苦しんでいるとしても、その様子に影響されて右往左往するような人は、その人を助けることができない』

     

    この教えはまた、別の大切なことをも私に気付かせてくれました。

     

    それは、立派な人の言う立派なことよりも、無名であれ人間の世界の辛苦をなめて生きる人々の、さりげないひとつの言葉こそ何という鮮やかな情感を伴って、私たちの存在の確かな重みを感じさせてくれることか、ということでした。

     

     

     

    フィリピンのスラム街に住む子供たち。この地区に住む人々は、ゴミ袋から回収したクズ肉の煮物、pagpagという料理を食べるそうだ。興味があれば検索してみても良いが、きっと吐き気を催すような映像が画面一杯に出てくることになる。

     

    日本の食料廃棄率は世界一で、私はそのことをもって今日の日本国民というものを本当に卑しく恥ずかしい存在だとも思うのだけれども、一方で、わざわざこの動画を紹介する真意はそこにはない。

     

    私が強調したいのは、この遠い国の貧しい子供たちが一生の内に出会う計り知れない苦しみや絶望などは、日本人である私たちにとって、どんなに『無意味で、無価値な、どうでも良い問題』であるかということだ。

     

    遠い国の貧乏人のことを考えるより、私たちにとってはむしろ、今日の晩ご飯のおかずが何であるかということを考える方が遥かに有意義だし、実際にこの国の誰もがそうしている。

     

    貧困国や紛争地の子供の一生の問題など、今日の私たちの晩飯の魚がカレイなのかノドグロなのかという問題に比べれば、遥かに劣る。

     

    一人ひとりの人間は、それぞれがほんの指先程度の小さな正義の心しか持つことができない。それが真実であり、この世の実相なのだ。私たちは悲嘆や絶望に暮れることなく、この人間という生き物の哀れな本性を見極めねばならないのだ。

     

     

     

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