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2019.02.02 Saturday

むじょうじんじんみみょうのほうは

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    本当に、倫理観というのはあらゆる分野へと波及するものです。

     

    人間の根本倫理の腐敗は、消費性向と産業構造を傾かせ、家庭の危機と犯罪、そして政治的緊張と外交問題へ容易に発展する・・・現実の細かな問題は逐次対応していけば良いけれど、倫理というのは根っこの問題であって、気付かぬうちに大地のゆっくりとした蠕動運動となって、気付いたときには、最早対処のしようもない巨大な津波の第一波となって現れる。

     

    役に立たない人間、能力の低い人間を黙らせ切り捨てていけばそれで世界がより良くなるのだとしたら・・・人間そのものがこの世界から消え去ることが、結局は最高の効率化と言えるのではないだろうか。

     

    人間は生きるべきか。私は生きるべきか。隣人は生きるべきか。人よりも弱い動物たちの命を何とするか。

     

    命は無条件に守るべきなのか。もしそうだとしたら、私たちは食い散らかされた動物や植物の命を前に、一体どんな顔ができるのか。もしそうでないとしたら。私たちはなぜ、当然のように「自分にも生きる権利がある」などとおこがましいことを考えうるのか。

     

    命は守るべきですか。人間は生きるべきですか。種を繋げねばなりませんか。我が子だけが大事ですか。

     

    幸せとは何ですか。それは共有しうるものですか。それとも奪い合う価値ですか。相対的な格差ですか。

     

    私はどう生きるべきですか。子供達は何をするのですか。生まれてただ死んでいくだけですか。

     

    それなら、苦しむ意味があるのですか。嫌ならやめても良いのですか。

     

    昔の人ならある程度、こんな問題に答えられたかもしれません。けど現代の私たちは、そうではない。私たちには何もわからない。何も答えられない。些末な問題ははっきりしている。進学も就職もお金を稼ぐ方法だって本に書かれている。

     

    でもなんだかその敵は私をふるいたたせない。組み付いたらただの広告だったりして、中身は誰かの同じような虚ろだったりして、そんな不安が。

     

    倫理観の欠如は加速していく。技術の発展と共にそれは広がっていく。これは何とも皮肉なことだと言えるでしょうね。

     

    地球にまだ人類が100人しかいなかった頃、私たちは確かに倫理観を持っていた。生きる理由と進むべき確かな道を抱いていた。

     

    それが今では、何もかも、分析と観察と考察に埋め尽くされて、そういうものは何も無くなってしまった。

     

    或いはこういうことかもしれません。

     

    私たち人類は、自らが観測した種々様々なデータによって、すでに脳の容量が一杯になってしまった。

     

    壁一面に貼った新聞の切り抜きに囲まれて、或いはもしかしたら、その壁紙の向こうにドアがあるかもしれないこと、窓があるかもしれないこと、そのドアと窓の先、この小さな部屋の外には、もっと広大な世界がまだまだ広がっているのかもしれないという想像を、思い描くことすらできなくなってしまった――。

     

     

     

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