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2019.02.05 Tuesday

簡単な話

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    昨日の記事で、『洗脳』という言葉を使いました。

     

    実際、私は良く他人を洗脳します。相変わらずこういうきな臭い物言いが好きな私です。

     

    言葉だけ聞くと、洗脳なんて本当に悪いことのように感じますよね。でも実はそうじゃない。

     

    自分の意見を他人に刷り込んだり、知識を教え込もうとしたりすること。これって実は、世の中の大半の人がやっているし、やられた経験がある。

     

    洗脳って、ちょっとマイルドな言い方をすれば『教育』です。教育は洗脳です。余所の国と自分の国とをちょっと客観的に比べればわかりますが、どの国でも自分の国の子供達には、真っ先に自分の国だけの偏狭な考え方を刷り込み教育しているものですよね。

     

    でもそれは、悪いことでしょうか。私はそうは思わないです。何故ならそれは、子供達の幸せを願って、そうされていることだから。

     

    洗脳だって良いじゃないですか。相手を本当に幸せにできるなら、洗脳だって暴力だって何だっていい。そこに深い愛情があって、とにかく純粋に相手の幸せを願ってそうすることなら、間違っていないと思います。

     

    愛情があるかどうか・・・。私は、これがこの世界の根本原理だと思っています。

     

    愛というのは、この世界を創造し続けているシステムです。それほど大きなエネルギーなのです。

     

    その愛というものに同調するか、反発するか。愛するか、憎むか。これだけ。道徳の根本原則というのは、実はこんなにシンプルなのです。

     

    愛から出たことは、間違っていない。それは必ず未来に繋がっている。

     

    憎しみから出たことは、絶対に上手くいかない。必ず滅亡へと突き進んでいく。

     

    愛か、憎しみか。それだけです。

     

    でも中々、純粋な愛というのも難しいものですね。それは阿弥陀仏的な慈悲心であって、温かくはあるけれど血まみれで、何でもできる賢さというよりは救えないと分かっていながら人を見捨てられない愚かさに近いものです。それは実にもどかしい情熱でもあると思います。

     

    親が子を思うとき、例えば体罰として頬を張るとき、その手に込められた想いはどれだけ純粋な愛情なのでしょうか。

     

    或いは、自分や世の中に対する不満かもしれない。自分自身が自分の親にされたことへの復讐や、コンプレックスを正当化するための弱い者いじめの気持ちがあるのかもしれない。

     

    どれだけ純粋な愛情がそこにあるでしょうか。どれだけ純粋な愛情を、私たちは自分や他人、この世界全体に注げるのでしょうか。

     

    愛は、言葉ほど簡単ではない。愛は、血を流す。それは十字架の上に捧げられている。その十字架の上から見下ろしたなら、私たち人間はどんな風に見えるのだろう。

     

    十字架の上から見つめる瞳と、その瞳に映る自分自身を思うとき、私たちはそこに何か、確かに仏性の我が身間近に臨在する感覚を得る。

     

    愛か。憎しみか。私たちは、日々自らを試している。

     

     

     

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