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2019.02.08 Friday

愛にとらわれる

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    『愛』という概念は、元来、キリスト教文化の中で生まれたもの。仏教圏に生きる私たち日本人にとっては、中々わかりにくい部分があります。

     

    私たちがあえてこの『愛』というものを理解しようと思うなら、先ずそもそも、愛とは単純に人や物に対する執着とか、欲望などではないことを強く断言しなければならないでしょう。

     

    私はいつもこう説明しています。

     

    『愛とは存在を肯定するエネルギーである』

     

    感情の問題ではなく、エネルギーの問題。

     

    それは、今日もこの世界を一秒一秒創造し続けている、神の心臓の、大いなる脈拍です。毛細血管の中を吹き荒れる素粒子の血煙です。

     

    創造する、存在させ続ける。それが神の意図。だからこそかのモノは「私は”在る”というものだ」と告げるのです。

     

    この神の意図について、私たちはどう考え、その力に対してどう向き合うのか。ここに来てはじめて、人間という小さな生き物における愛情の問題が生じるのだと言えるでしょう。

     

    私たちは世界を憎み、見かけ上では存在を否定していくこともできます。そういう在り方を神は私たちに許しているからです。

     

    しかしもし私たちが、本当に世界を憎むならば、憎しみの言葉を吐いてはいけないはずです。

     

    何故なら、言葉を発するということはすなわち、この世界に新たな内容を追加することを意味するからです。

     

    もしも私たちが本当に世界の存在を否定したければ、私たちは、次の瞬間に世界を終わらせるはずです。神を超越するということは、恐らくそういうことなのです。

     

    世界を終わらせることはできるでしょうか。変革すること、変化をもたらすことではなく、世界というシステム、時間や空間のシステムそのものを根本から消去することはできるのでしょうか。

     

    これは言い換えれば、一体私たちは、本当は世界を憎むことができるのかどうか、という問いでもあります。

     

    その答えは恐らく、私たち人間には、仮に見かけ上はそうではないとしても、本質的には、世界を憎む能力そのものが備わっていない、ということなのです。

     

    もしも私たちが憎む力を持たないのだとしたら、さらにこう言い換えることができるでしょう。

     

    私たちの本質は、愛である。ただただ、自らを表現したい、新たな世界を創造したい、誰かを存在させたい、この世界に存在し続けたいという『愛』の想いこそが、私たちの魂の真実なのだ、と。

     

     

     

     

     

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