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2019.02.10 Sunday

変わり生く魂

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    純粋に宗教的な話題として、私たちの魂の本質は如何なるものか、ということについて。

     

    現代人として、その筋のことに励む一人の人間として、私にも、神や善悪というものが理解できないではない。

     

    しかしどうにも、それは私には完全なものとは思われない。神は偏狭すぎ、私たちの魂に宿る自由や無限への実感というものに十分には応えていない。

     

    私が思う限りのことを言わせてもらうならば、この世界の神は、ただ無限にある状態の内の一つに過ぎないのではないか。

     

    秩序として”在る”ロゴスは、真に原初のものではないのだ。

     

    真実、根本原質と言えるものは、”変化”である。変化の無い永遠の静寂の中に、秩序が突然生まれ出ることはない。むしろ混沌の中でだけ、秩序は偶然にも産み落とされうる。熱の大海に私たちの生命が偶然生じたように。

     

    "変化"が即ち”在る”という概念を呼び起こす。この感覚はロゴスに由来しない。それはむしろ夢の中の自由な流転のように、カオスとしてのとりとめも無い”何かが在る”という実感、感触なのだと言える。

     

    無限の変化と混沌の中で行われる、ある一つの”秩序”に関する気まぐれな試行錯誤。それがこの世界の実相であると思う。

     

    無限の変化の根本原質、"在る"という実感の基礎、大いなる魂の総体。私はそのコンセプトを仮に宇津流霊(ウツルヒ)と呼ぶことにした。

     

    永遠の変化こそが真の"神"であるとしたら、この世界のロゴスとしての神は何なのだろう。

     

    それは恐らく、変化というくびきから解き放たれる方向を偶然にも見出した、"逆らう者"ではないか。あくまで変化に内包されながらも、変化に抗い、変化の中で"変わらぬ秩序"を維持し続ける。

     

    真の神と、それに逆らうロゴスと。そしてさらに、ロゴスの中で、ロゴスを維持するためにカオスを代謝する装置としての、サタンに逆らう者としての、ルシファー。

     

    最後に、それら大いなる魂のシステムを構成する器官や細胞としての、私たち一人ひとり。

     

    年代記的に見れば、それぞれが上位の存在のやりようを否定しつつ、好き勝手に自分の自由を求めて活動している様にも見える。

     

    しかしその線的な繋がりを見れば、内包されていく構造を見れば、過去のイベントとしてではなく現状この世界の継続中の状況の説明として見るならば、

     

    それら全体がただウツルヒの"在る"という混沌の意図の中で、めいめい新たなバランスを作り出して協調しながら世界を維持し続けているのだとも言える。

     

     

    ただ、”変化”だけが在る。自由な夢を見るように、私たちは、その流れに乗っていく。

     

     

     

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