<< 力学的エネルギー保存 | main | 納棺と言葉 >>
2019.02.24 Sunday

偽りにも眼を開けて

0

     

    相変わらず興味深い、日本社会の右と左の問題について。

     

    最近また、世相を観察していて気付いたことがある。

     

    現代の日本では、右寄りの人は大抵、理想主義的な人だ。左寄りの人は大抵、現実主義的な人だ。

     

    このこともまた、リベラルと保守とか、個人主義と集団主義とかの文脈と重なりあいつつ、右左という適切かどうかもよくわからない呼称で指摘される分裂の原因になっている。

     

    理想とか現実とかの言葉が不適切なら、演繹と帰納という言葉で使い分けても良いだろう。或いはプロメテウス的な思想と、エピメテウス的な思想と言うか。

     

    法律や制度を作ったりする人々というのは、大抵どこか子供っぽいところがあって、法律通りに世の中が動いてくれることを無邪気に期待し過ぎてしまう。

     

    (この期待感こそ、制度実装の第一号だけが約束された成功を得る“モデルケースビジネス”の、腐敗した温床である。理想を実現するにあたって、それについてこれない現実の方を切り離すというのではとんちが効き過ぎている。)

     

    反対に現場の状況でものを考える人は、結局は目の前の現実に押し潰されて何もせぬまま、何もできぬままということになりやすい。不満を述べて声高らかというのは最初の内は頼もしいが、動きがなければだんだんと周囲も疲れてくる。

     

    実際に世の中が求めるのは、いつもその折衷の人間である。法律にはいくらでも抜け道と迂回路があり、法制度と現実の運用はそのまま素直に直結するものではない。様々な妥協と思いもよらない転用を経て、法制度は生きたカオスの中でイデアから切り離されていくものだろう。

     

    思い通りには行かない。それを折り込んで尚、新しいシステムは執行されねばならない。それは望んだ結果を出すためというよりもむしろ、ある程度方向のあたりをつけながら現状を破壊してダイナミズムを生み出し、神の見えざる手に物事を委ねるため、恒常性の中にエントロピーを消化させていくために必要な取り組みである。

     

    システムを作る人間に必要なのは、同士たちの前に立って勇ましく先導するリーダーの視点ではない。期待に背中を預ければ、必ず現実に裏切られることになる。必要なのは、人間を空から俯瞰し、その行動と生活を分析した上で、制御管理する支配者の視点のはずである。

     

    (これは我ながら厳しい自戒だ。”そうは成り得ぬとしても、そうであるように努めよ。家の中の年長の子らのように。”)

     

     

     

    追記:後になって読んでみて、自分はやはりまだこの問題を完全に客観的に消化してはいないな、と感じた。文中で理想主義と現実主義という言葉を用いているが、これも若干の優劣を含む対比だと思う。私がここで言いたいのは、いずれがより正しいか、ということではなく「どちらもそれだけでは不完全である」ということであって、この意味で理想主義を理論主義に、現実主義を経験主義に、とか言葉を変えるべきかもしれない。

     

     

     

    ブログランキングに参加しています。

    クリックで応援をお願いいたします。

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

     

     

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    262728293031 
    << May 2019 >>
    【 ランキング参加中 】


    Webサイト
    夜ルコト 心理ワークス https://yorukoto.net
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Mobile
    qrcode