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2019.03.03 Sunday

『まさに、私は死んだ』 ツァラトゥストラはそう言った。

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    特殊な職業とかコミュニティの中の人々を除けば、普通、世間一般の人間は神や創世について語ろうとはしません。

     

    それは、神などの話題について語ることが非常に難しいか、でなければ非常に下らない馬鹿馬鹿しい行為だから、だと何となく私たちは実感しています。が真実はそうではありません。

     

    なぜ、私たち人間は、神について語らなくなったのか。その本質は、私たち自身が既成の社会秩序に対して抱く依存心にあると私は思います。

     

    キリスト教文化圏、イスラム教文化圏、ヒンズー教、仏教や道教やシク教の文化圏、いずれの場所にもすでに権威化した国家体制があり、思想秩序が出来上がっています。

     

    そしてもし、そういう出来上がった文化的前提(例えば神の存在如何)を変動させるとしたら、社会秩序全体もそれに伴って影響を受けてしまうことになります。

     

    だから私たちは、能力的な面で神を実感する力を失ったというよりは、むしろ社会的、経済効率的なバランス感覚の中で、意図して神というトピックから眼を背けることを覚えたのだと思います。

     

    とは言え、生憎の話、この高度に情報化された社会、私たちが信奉し守り続けてきたこの社会それ自体が、私たちがひたすら間引き続けてきたはずの異常で邪教的な”別の思想群”との繋がりを、グローバリズムという形で形成してしまいました。

     

    それはちょうど、世界の果てにある断崖絶壁を恐れる船乗りたちの目の前で、世界地図が平面から球体の地球儀へとすり替えられてしまったような、拍子抜けするパラダイムシフトではないでしょうか。

     

    今や私たちは、大手を振って、神について語ることができます。

     

    なぜなら私たちが唯一だと思い続けてきたのとは別の、他の素晴らしい思想の数々が世の中にはあるのだということが、社会の中に強烈に印象づけられてしまったからです。

     

    人の手で守り続けてきたドグマを見失ってはじめて、私たちは人工のものではない真の大地の上で、神について忌憚なく議論しあえる。

     

    あるいはそういう明るく風通しの良い土壌こそが、人間達の次の時代精神を担い支える、世界宗教の新たなるはじまりなのかもしれません。

     

     

     

     

     

     

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