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2019.03.04 Monday

陽の花の宙に咲く如く

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    精神的な指導者、グルになろうとするものの殆どが、はじめの時期にこういう失敗をやらかす。

     

    それは、他人を自分の力や意志で救えると思うことである。

     

    もちろんそういう意気込みを持つことは素晴らしいし、その純粋な気持ちは何にも代えがたい修養の根拠ともなる。だから、もし誰かが実際にそうすべきだと思い込み、そうできると信じて自らの力による世界救済に挑戦するのであれば、そうしたら良い。

     

    それは素晴らしい経験、掛け替えのない記録として、人間性の偉大な歴史の中に刻み込まれてもいくことだろう。

     

    だが生憎その試みは、指導される側の人間を悲惨な結果に追い込むというところへ辿り着いて、一旦頓挫することにはなるのだ。(必要な犠牲と言えなくもないが、当然贖罪は必要になる)

     

    熟練した指導者は、この宇宙空間を構成する真理そのものが、人を導いていくこと、彼らをあるべきところへ向かって成長させていくことを知っている。だからそれを自分の手で行おうとは思わない。(或いは、アジニャーニの眼から見れば、それを彼らが自分の手で行っているように見えることも多いかも知れないが)

     

    花の種子を誰が育てるか。それは自然の環境が育てる。確かに我々人間が科学的にそれを代替することもできるが、では花の種子が持つ遺伝子の構造や、複雑な進化の道筋や、それを支える時間と空間と物理原則を作り上げることは私たちにできるのか。

     

    138億年後の世界に一輪の花を咲かせるのは、神である。それが宇宙全土を支配している様子を、私たちは心を通して深く見なければならない。

     

    グルは人を救わない。グルはもはや何もしないからだ。仏教であれヒンズー教、キリスト教であれ、行き着く所は同じである。彼らはただ自然体に生きることを学んだだけなのだ。

     

    花には咲く時期がある。それを待たず枯れることもある。惑星も、宇宙も同じだ。全ては神の手の踊りを踊る。

     

    救われる者と救われぬ者を自分の手で選り分けようとする修行者は、まだ自分の力のあまりにも小さいことを知らず、それが故に、自分という存在の偉大なる真の性質にも気付けていない。

     

    (こういう語り口は童心にかえるというか、やはり楽で良いなと思う。でも大人には体面というのもあるから、色々気を使うものだ)

     

     

     

     

     

     

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