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2019.03.25 Monday

精神疾患と『自己形』

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    以下は簡略化された着想のようなものなので、ご承知のほどを。

     

    仏教やヨーガの思想を学ぶ中で、私は、『自己からの解放』という現象が精神の健康や成長に深く関与しているという実感を持っています。

     

    『自己』とは私たちが生まれた頃から少しずつ心の中に形作っていく『砂の城』、”私”という限定された視点、主体の根拠です。

     

    誰もが同じように持っているはずの『自己』というコンセプトは、根本的に言えば社会的な幻想であり、実際は私たちの精神はもっと様々な精神形態を成し得るものです。

     

    そうした『自己』の本来的な様々な形を、今、便宜的に『自己形』と呼ぶことにしましょう。

     

    そして試みとして、様々な精神疾患の類型を通して、『自己形』がどれだけ豊かに存在し得るのかということを示していきたいと思います。

     

     

     

    始めに、定型発達の健常人。心理的な揺らぎはあっても、一貫して”自己”というコンセプトを中心に精神活動が行われる。

     

     

     

     

    次に、発達特性の歪みがある場合。一般に自閉傾向と呼ばれるもの。精神活動は場当たり的で、一貫性がなく、気まぐれ。自己は希薄であるか、場合によっては存在しないようにさえ見える。「大事なこともすぐに忘れる。」「頭ではわかるのに、やるべきときに実行できない。」

     

     

     

     

    統合失調傾向の場合。ストレスが高じた時など、場合により精神の一部が自己から離脱し、精神内界に自分以外の”異物”となって浮遊する。

     

    この異物的感覚はそれ自体、精神が分断されることによる不安や苦痛を伴うので、自然に増幅していき、脳の論理回路に苦痛の原因を探すよう強く働きかける。活動を強いられた論理回路は、幻視、幻聴などの仮解釈を通して、精神を意味ある回避的方向へ導こうとする。だからこの際生じる幻覚的解釈は、独特の奇妙な誘因力を持って本人の注意を引きつけたり、苦痛の原因を”ついに見つけた!”という微少なアハ体験などを伴う。

     

    自分の心の一部が自己の中から分離してしまうというのは、例えば「自分自身が感じている他者への羞恥心」が、あたかも「自分以外の誰かが脳の中に誹謗中傷の言葉を電波で流してくる」などと感じられるようなことである。

     

     

     

     

    解離性人格。特に、解離性同一性障害。過度な適応などによって、その場その場で自分の一貫性すら失ってしまう。患者にとって自己というのは、自分がそこに居る『場所』を意味している。『場所』が同一でありさえすれば、その場所の中では人格の一貫性は維持され得る。反対に、社会的な居場所や環境が変わることは、ただちに人格が変容してしまうことを意味するだろう。

     

    本人の思い込みや、ペルソナでしかないものへの”名付け”による積極的な人格特定によって、個々の細分化された人格の発達と個性化は促され、症状は深刻化していく。

     

     

    典型的なものをいくつか例示してみました。繰り返しになりますが、これはただ個人的な着想に過ぎないものですので、悪しからず参考までにご覧下さい。

     

     

     

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