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2019.04.06 Saturday

WC?

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    実存に関する仕事をしていると当然のように、「これは宗教ですか?」という質問を受けます。

     

    この質問は答えに困りますね。私がやっていることは勿論宗教なのですが、だからと言って『宗教ですよ』と言えば「どこの団体?」という話になります。

     

    その、どこの団体?の話になった時が問題で。

     

    私はどこの集団にも所属していないので、強いて聞かれれば『個人です』と答えることになります。

     

    でも、個人です、というのではなかなか。「ああ、個人でやっている宗教なんだね」と納得してはもらえません。むしろ大体、相手の頭が?マークで一杯になるのが表情から見て取れて、こちらも一緒に困ってしまう羽目になります。

     

    恐らく、私たち日本人にとって、”宗教をしている”というのは「ある特殊な集団を信じて、そこに所属する」というコミュニティの問題を意味しているのだと思います。

     

    問題は”属する”ことであって、何かを”考える”ことではないのです。そしてむしろ、世界の成り立ちや行く末について自分の頭で”考える”人たちは、あまり宗教的な人間ではない、とこの社会では信じられているのでしょう。

     

    盲従、というものは、現代では政治的な場面や経済的な場面でこそより多く見られるものです。例えば右派左派の話であるとか、ある組織に対する盲目な従属、会社の為に行う汚職や、ブラック企業や悪徳会社で働く労働者などにおいて当たり前に見られる現象です。

     

    ある時期から、日本では”宗教”という言葉が盲信や、現実から目を背けること、などなどの悪い意味で考えられていたのですが、実はその悪い部分というのは、今では別の分野に乗り移ってしまったのです。

     

    つまり私たちは、”宗教”という言葉を“盲信”と読み替えて使っています。「宗教をしています」と言えばそれは、「私はどこそこの盲信者です」という意味合いになっているのです。

     

    それで、例えば私がこの世界において、「何も信じない」という純粋に宗教的な立場に立とうとすると、私たちの頭の中にある前提が邪魔をします。

     

    『盲信しない宗教などない、宗教をしている人は、必ずどこかの団体に所属しているはずである。』

     

    これが私たちの作り上げた固定観念なのです。

     

    私はどこの団体にも属さず、キリスト教も仏教もヒンズー教もイスラム教も勉強しており、ジャイナ教とシク教とブードゥーと天理教と金光教と霊友会とあらゆる神秘主義、魔術、オカルトなどのサブカルチャー及び新興宗教、土着信仰などに深い興味を抱く個人宗教家です。

     

    と、言ってみたところで世間からすれば、どうやらどこかの団体に所属していない私は”宗教”ですらないらしいのだから、まったく世の中というのはひねくれているものだ、とただただ、ため息をつくばかりです。

     

     

     

     

     

     

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