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2019.04.26 Friday

倫理の大きさ、寛容の階段

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    心理療法家と一般人の一番の違いは、病んだ心に対する寛容さの違いであると思います。

     

    社会一般の人は基本的に、精神疾患になることを悪いこと、あってはならない、おぞましく恥ずかしいことだと捉えます。

     

    心理療法家は、そうではなくて精神疾患とは誰にでも起こり得る事象であって、特別なことではないし、ましてや救いようのない悪なんかでは全然ないと考えるでしょう。

     

    そういう部分に、精神疾患という事象に対する態度の違いや、優しさ前向きさなどの程度の違いが出てくるのです。(病を”悪”だと捉えている人は、病のありのままの形、その深い意味や訴えに気付けない。)

     

    社会やこの世界に対しての、道徳や倫理観をどう持つか。

     

    それがその人の現実に対する適応力を決めるのだと、そう言うこともできるでしょう。

     

    さてここでまた、心理療法家と宗教家の違いは何であるかということも掘り下げられます。

     

    宗教家の倫理観などは玉石混淆であって、了見の狭いのから広いのまで色々あるのですが、特に私のような実存主義的な宗教家の場合、その倫理の尺度というものは際限なく大きくなっていく傾向があります。

     

    寛容さ。受け入れ。それを規定する天秤としての、倫理観。

     

    心理療法家であれば、精神病理に対してだけ寛容であればそれでいいのかもしれません。がしかし、それで果たして真の”全人的ケア”を成し得るのかというと、個人的には疑問を抱きます。

     

    ケアパーソンは、出来得ることならば、可能な限り大きな人間存在についての哲学と倫理を持つべきではないでしょうか。

     

    教誨師がその口で死刑囚に対しても神の慈悲を伝えるように、可能な限り大きな、人間に対しての賛美と許しを。

     

    王族も貴族も平民も、病める人も壮健な人も、千人を救った聖者、百人を殺めた犯罪者も、人も虫も光も暗黒物質も、何もかもを平等に包み込む、偉大なひとつの太陽――揺らぐことのない、万人への途方もない大輪の”はなまる”を、そんなものを宗教家としての私は見出したいのです。

     

     


     

     

     

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