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2019.06.19 Wednesday

Roots to Branches

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    現段階で私が思う限りでは、バウンダリー/境界は、純粋意識の過密な衝突によって作り上げられるある個別の次元である。

     

    つまりそれは、基底的に見ればそれ自体高いポテンシャルを持つ素粒子同士が、相互に衝突しあうことによって場の新たなベクトルを開き、そこを起点としてちょうどビッグバンのように生じさせる、ひとつの新しい宇宙なのだ。

     

    仮にこのような考えが正しいとしたら、通常我々が「主観」として受け取っている私のこの境界であるとか、あなたのその境界などは、言い換えれば魂の器であるゼーレは、人体の機能から推察すれば脳幹〜大脳基底核あたりに存在するのではないだろうか。

     

    恐らくこのあたりに私たちの身体から生じるあらゆる神経信号を、選択的に抑制したり強調させたりする何らかの器官があるはずだ。そしてその場所こそ、人間の肉体の中で最も神経信号が過密に集積される「中央議会」ではないだろうか。

     

    (ちなみに、人間の精神はこの部位を挟んで肉体的な外世界と脳内の内世界とに分断されている。正確な部位がどこであるかは判然としないが、なんにせよ神経系におけるこの内外のループバック構造の中心に、私たちの魂は備わっているように思える。

     

    そして魂が神経信号の抑圧や強調などを司る部位であるだろうということは、「境界においてはあらゆるものが主体的であり、基底においてはあらゆるものが機械的に作用しているように見える」という境界ー基底間の関係を精神ー肉体間の関係に比較して、その中心にあるものの役割を推測してみればある程度想像が付く。)

     

    また上記のような仮説を通して、私は別のひとつの推測を得る。

     

    それは、私の境界が宿るこの個体としての人体には、この境界以外にも別の境界が宿っているのではないだろうか、ということである。

     

    もちろんそれは私のこの境界ほどはっきりとした鮮明なまた複雑なものではないだろうが、神経の過密な集積と興奮(それが電気的なものか化学的なものかはさておきー)が境界形成の単純な条件だとしたら、脳幹周辺のみならず、例えばヨーガの伝統で言えばチャクラと呼ばれる部分、脊髄に沿って生じるいくつかの神経叢はどうか。

     

    そのような神経集積地で行われる神経信号の統合や修飾は、ある程度の規模の境界を形成するだけのエネルギーを生み出せるかもしれない。

     

    だとしたら私たちの肉体には、この境界の主観的視点以外にも別の複数の主観が備わっており、互いに意識せぬまま、互いの宇宙を基底を通して強固な相互干渉の立場に置かせている、ということがあるかもしれない。

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

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