<< Tears in Rein  | main | Tears in Rein  >>
2019.06.22 Saturday

Tears in Rein 

0

     

    さてでは神秘体験と境界解体にどのような繋がりがあるかということだが、すでに大分述べたように、境界は中枢神経に由来する知覚信号の統御能力によって形づくられている。

     

    裏を返せば、この統御能力を失うとき私たちの精神は一つの生命個体として意図された正常なラインを逸脱し、半ば生命を離れて、生命から自由になって活動し得るということである。

     

    これは多少大げさな言い方かもしれないが少なくとも、境界というものの意義を考えれば中心化のための統御を脱した意識内容はもはや境界本来の役割を成してはおらず、何か特別な設計外の活動状態にあると考えて良いだろう。

     

    私は便宜的に、こうした境界の形が乱れた意識の状態を「変性意識」と呼ぶことにする。(神秘主義の歴史の中で様々に用いられてきたこの語を、ここでまた新たな定義によって使うことには異議も多くあろう。がしかし、私はそうした多面的な意味合いの全体を含めて、超実存の理論を通して、この変性意識というものにエッセンシャルな骨格を与えられはしないかという意図を持つものである)

     

    重ねて言うようではあるが、私は神秘体験における光とか声とかの知覚内容それ自体に興味は無いし、それが所謂「現実」と呼びうるものの範疇かどうかなどという議論に加わる気も無い。

     

    この見解は今も変わらないが、更に一歩進んで、神秘体験における”変性意識の状態そのもの”は、それを「経験することによって境界の精神閉塞機能を緩和させ得る」ものではないかと考える。

     

    つまり私が考えているのは、何であれ神経系の正常動作を阻害/湾曲させ、知覚内容の統御能力が一時的に破綻した状態を経験していくことによって、その時私たちは徐々に境界外の意識(純粋意識)についての実感を得ていくであろうこと、そしてまたそうした経験は私たちの通常状態の精神の在りようにも影響し、より解放された精神の諸々の特質を発揮できるようにもなるだろう、ということである。

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << July 2019 >>
    【 ランキング参加中 】


    Webサイト
    夜ルコト 心理ワークス https://yorukoto.net
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Mobile
    qrcode