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2020.01.19 Sunday

いくつもの舌

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    倫理とは範囲統制だ。

     

    それは生存繁栄のための戦略である。そして戦略は、置かれた状況が異なれば、当然その場その場での最適解も異なってくる。

     

    だから倫理は、常に範囲統制の文脈において考えねばならない。これはつまり、自分が所属し、利益と損害において自己と深く結びつけられたような範囲領域を、我々がどのように自認するかという問題である。

     

    幼児の倫理は肉体の倫理であり、彼の世界の中心は彼の肉体の中に存在する。彼は肉体の声に従わねばならない。

     

    子供の倫理は家庭の倫理であり、親や身近な大人、年長の家族に従うことが重要になる。

     

    青年の倫理は小社会の倫理であり、分断された部族的集団の中で、その集団の規範に従いながらその集団の利益を最大化する為に、外部と競争するような世界観を持つ。

     

    成人の倫理は大社会の倫理であり、それはあらゆる垣根を越えた人間存在全体の営みを表す概念としての、”社会”における最適解を模索する。

     

    その先にもいくつかの段階は想定できる。生物にとっての倫理、地球にとっての倫理、宇宙にとっての倫理、などのように倫理基準となる範囲を規定でき、採用する範囲が異なれば最適な倫理の形もまた大きく異なってくることになる。

     

    実際の所、この世界の時間や空間といった諸原則も、繰り返しの創造の中で気に入られた一種の試行形態に過ぎないと言う意味では、倫理的なものである。倫理は不変の真理などではない。それは繁栄のための戦略でしかないのだ。

     

    こうしたことを考える中で、我々は人間精神のある避けがたい限界構造が、軋んで叫び声を上げることを実感するかもしれない。その構造上の限界とは、我々個々の人間にとっては、倫理はそのように柔軟な形をしていないし、していてはいけないということである。

     

    倫理規範は、個々の人間にとって、その人の人格形成に深く結びついた要の柱のようなものである。それは簡単に入れ替えたり、素早く切り替えたりすることのできるものではない。

     

    人間は主体的に行動し、それぞれが独自の思想見解によって突き動かされている。そうした行動の原動力には、その人が自らの人格と共に築き上げてきた固有の倫理規範が大きく作用する。

     

    言い換えれば、人間の「所属自認」、自分がどの範囲において主体的な存在なのかという自認、家庭人なのか、会社人なのか、国家人か地球人か宇宙人か、はたまた私を中心とした私の為の宇宙を生きる自己至上主義者として自認するのか、という問題があって、この自認はその人の固有の経験から導き出される実感的認識だから、経験そのものが上書きされない限り修正されない、という事情がある。

     

    人間の倫理は所属する範囲によって決まり、それぞれの倫理は、並行して複数を持ったり、簡単に付け替えたりすることができない。私達の生命が、個的存在として確立されて生きるように設計されているためである。

     

    もしその設計を無視して自らの倫理をメタ的に操作し、安易に或いは強制的に倫理規範を更新したりすれば、私達は自分自身の人格構造に、根本的な不調和を生じさせることにさえなりかねないだろう。

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

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