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2020.08.26 Wednesday

手紙

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    Eli、私は本心では理解している。短い人生だけれど、様々な場所で生活をして、沢山のものを見た。

     

    悪い人なんて居なかったよ。ただの一人も。ただ誰も彼もが、少しずつ病的で、少しずつ歪んでいて、そして大抵呆れるほど愚かだった。

     

    でも悪い人なんて居なかった。

     

    君は権力者が腐敗すると言った。それはそうだ。それは遥か昔から言われている。

     

    『富者が天の国に入るのは、針穴にロープを通すより難しい。』

     

    恵まれた環境で生まれ育った人は、本当の意味で智慧を得るということはない。それは大変に残念なことだ。ルドルフ・シュタイナーは、地獄の業火が人間の罪を浄化するのだと言った。有り難いことではあるけれど、それでは私達人間一人ひとりが、果たしてその業火の中に進んで足を踏み入れるだろうか、ということを考えてみれば良い。

     

    ほら、ヤスパースもフランクルも言っているだろう。人間が自分で選択して選び取れるような困難は、本当の困難ではないし、本当の限界状況ではない。本当の困難は、強いられ縛り付けられ逃がしてもらえないものだ。そういう苦難だけが魂を変容させる。

     

    だから、それを強いられない環境というのは難しいものだ。逃げ道があれば人は楽な方へ行こうとする。明るい方へ。楽しい方へ。自然なことじゃないか。叶うものなら、この世の悪い部分なんて見たくない。誰だってそうだ。私達だって、立場が違えばそうだっただろう。それを悪とは言えないよ。

     

    そこに、権力の問題が加わる。

     

    従順な人たち、素直な人たち。一歩間違えば、この人々もなんという毒になり得るだろう。無知な指導者が無知な指示を出して、従順な人たちは違和感を覚えつつもそれに従ってしまう。

     

    権力というのは集約されていくものだ。一度その恩恵に預かったら、中々抜け出すのは難しい。皆、自分や家族の生活がかかっているからね。人は魂を欠いてまで飽きもせず労苦する。借金で自分の身の回りに囲いを立ててしまったりすると、もうそこから抜け出す道はない。どんな間違った指示も聞かずにはいられない。むしろ、間違っていないと自分に言い聞かせることの方が忙しい。間違っているぞと、こちらの安定した生活を脅かすようなことを言い出す連中を叩き回ることの方が、ずっと忙しい。

     

    シモーヌ・ヴェイユが言うように、指示命令には大きな力がある。「上のもの」から言われると、人間は本当に弱い。そうした人間の心の機微を読み取れない指導者は、知らず知らず、自分が思っている以上に大変な力を振るって狂気を招いてしまうものだ。

     

    でも、彼らも大変だと思うよ。何かの拍子で不意に世間の不満に晒されたりすると、突然、見たことも聞いたこともないような自分の罪や醜聞がこれでもかというほどあげつらわれて、「違う、こんなの間違いだ!私ははめられたんだ!」と叫びたくなる気持ちも分かる。慎重な人なら言われる前に解りそうなものだけれど、生憎、富める者の足かせという奴が邪魔をするのだろう。

     

    そんな風に、人間の自浄作用というものには限界がある。誰かが特別悪いわけじゃない。それは自然で、避けがたい。必然で、残酷だ。

     

    だから社会構造というのは、時折リセットされなければならない。それを引き延ばすことも出来るけれど、結局は問題がより増大して、破綻する時のショックが大きくなってしまう。どの道最後はそうなる。それである程度ガス抜きされると、また人間の自浄作用だけでしばらくは何とかなる。

     

    とても不都合なことだな。破綻する時には、社会の中で一番弱い人たちが、真っ先に犠牲になるのだから。そしてそれを回避する方法は無いよ。

     

    回避する方法は無い。Eli、何故だと思う? それは、人間が賢くなれないからだ。賢さは理知だけでは成り立たない。智慧は愛によって支えられる。そして愛は、決して、社会全体に行き渡ることが無いからだ。

     

    とても悲しい話をしよう。愛情の本質とは何なのか。それは絶望だよ。

     

    この世界に絶望して、その絶望の中で窒息して、黒いドロドロが身体を満たして、それがなおも湧き続けて、この身一つに収まらずに、遂には自分の外の人間にまで影響を及ぼすようになる。

     

    イエス・キリストの受難も、マザー・テレサの奉仕も、全て絶望の底から湧き上がった抑えようのない衝動だ。

     

    そういう他者にまで及ぶ深い深いこの世界への絶望だけが、愛情の本当の色調を示す。それは絶望で、祈りで、救いを求める声で、救わずにはいられない狂気だ。それは論理的解釈を超えている。それは意味の地平線を押し開く。その深い絶望を私達は愛と呼ぶ。

     

    もしも人間の全てがこの愛を持てたならば、世界は救われるだろう。けれど良く考えてみてほしい。苦しんでいる人が救われたなら、巡り合うはずの苦難を誰かが事前に押しとどめてくれたとしたら、その時はもうそれ以上、絶望は生まれないんじゃないか?

     

    そうだ。救済された人は絶望に出会わない。絶望がないとしたら、愛ももう生まれてこない。だからそこから、世界はもう一度破綻していくだろう。

     

    愛は行き渡らない。それは満たされることがない。愛は常に、社会のごく一部に存在するだけ。だから人間は、永遠に、救われることはない。

     

    だからどうしろってことを、私は今、君に言えないな。「こうするんだ」っていう答えや道筋が大事なわけでも、ないだろうから。

     

    Eli、私には、君の苦しみがわかって恐ろしい。この真実、この絶望、君が歩いてきた道。大きな絶望があったから君はここに居て、それなのに尚こうして私達は、お互いの心を傷付けるような真実を、もっと強く胸に抱こうとする。

     

    Eli、何ができるだろう。せめて君のために。

     

    無理をしないようにね。あまり自分を、傷付けてはいけないよ。

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

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