2020.08.24 Monday

根源的暴力

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    革命について話したいわけではない。何をせよとか、こうすべきである、ということを語りたいのではない。

     

    私が言っているのは、錯誤と、間違った対応と、その修正の話だ。

     

    私は未来について言いたい。子供達に何を教えれば良いのか、目上のものに媚びへつらう方法を教えれば良いのか、中身の無い学問と、ブランドだけの学歴のために勉学に励めと教えるのか。

     

    権力者はなぜ腐敗するのか、貧民はなぜ凶行に走るのか。人間に救いはあるか。世界はまた良くなることがあるのだろうか。

     

    それとも、このままただ腐り落ちていくだけか。一部の極端に歪んだパーソナリティの人間だけが、そこでのうのうと私腹を肥やし、最後には自分の血肉まで囓りとって愚かにも滅びるのか。

     

    私は未来について知りたい。そこが明るいのかどうかを知りたい。真実と、間違いと、その修正の方法を知りたい。だから目を閉じるわけにはいかない。

     

    75年前の人類たちが国際連合というシステムを設立した時、恐らくその時に、人々が捧げた平和と安定の祈りには少なからぬ嘘が混じっていた。

     

    彼らは確かに正義と平和を信じたかもしれないが、その一方で辟易し、また恐怖も抱いたのだ。核武装した大国の武力と、戦時に見せる人間の狂暴な本性に。

     

    (戦争を否定するのは簡単だ。だが略奪ほど甘いものがあるか? 他人の存在を抹消して、その持ち物全てを堂々と自分のものにできるとしたら・・・事実そうやって、西欧諸国や私達のこの国は歴史の中で肥え太ったのだろう。)

     

    だが戦いに疲れ切った当時の人類は、その心中に恐怖と軽蔑があることを押し隠して、武力支配への嫌悪感に「平和、正義、秩序」などの聞こえの良い衣を着せておくことにした。

     

    平和や正義など後付けの虚構だ。だが私達はそれを信じた。その方が都合が良かったのだ。自分たちは正しい選択をしたと感じられたから。本当は自分たちの何がどう間違っていたのかを、それ以上考えなくて済んだから。

     

    国際連合、平和、自由、正義、秩序、公平。全てはまやかしだ。私達は洗脳されている。自分で自分を洗脳したのだ。その幻想に身を委ねる方が、遥かに楽だったからだ。答えの無い世界を生きるよりも、大きな嘘に縋り付く方が、遥かに。

     

    私は何をせよとは言えない。何をしたら良いかもわからない。ただ目を覚ますべきだと思う。

     

    私達の国に核爆弾を落としたアメリカ、私達の祖先が鬼畜と呼んで銃殺したアメリカ人の核の傘の下で、今日私達は”お天道様”の顔色を窺いながら生きている。

     

    一方で世界では、覇権主義を抱き武力と経済力によって着々と周辺諸国を侵略する、中国のような国家が台頭する。(経済力。これもまた抗いようのない致命的な力だ。)

     

    既存の国際秩序を意にも介さない次世界の大国を前にして、「正義」や「公平」を声高に叫んで何になる? 子供銀行の銀行券で借金を払うと言い張るようなもの。ただ失笑を買った後、叩き潰されるだけだ。

     

    私達は時代の岐路にいる。世界平和という嘘はすでに崩れ去った後だ。世界は暴力に基づくパワーゲームになった。正義とか公平とか、死んだ神の像に、崩れ落ちた瓦礫の山に縋り付いて泣いているわけにはいかない。

     

    直視し、徒党を組み、血の中を歩いて、自身の望む価値観を勝ち取るのだ。

     

     

     

     

     

     

    JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

    2020.08.20 Thursday

    根源的暴力

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      だが私自身は、果たして理想を固持するために暴力的な革命さえ志向するのだろうか。単純にそうはならない。

       

      誰かは言う。「やり遂げねばならない。理想と希望こそ、人が苦難を生き抜くためのよすがなのだ。どのような犠牲を投じても、守るべきものがあるとしたらそれだ。無視され見捨てられた人々が堪え忍んできたのは何故だったか。全てはそのわずかな希望、より良い未来への選択肢が残っていたためだ。どうして私たちは今それを放棄して、犠牲にされた人々の上で安住できるのだ。」

       

      また誰かは言うだろう。「そこまでして理想や正義を主張する必要があるのか? 君は元々、誰かが苦しんでいるこの現実をどうにかしたかっただけだ。それなのに今度は、君自身が他人を傷付け苦しめようとする。そこまでする意味があるか? そんなことをするくらいなら、手の中を空っぽにして無力なまま流されてしまえば良い。君自身も不正に目をつむって、手を汚して生きる方がましじゃないか。」

       

      諦めきったしわがれ声が聞こえる。「君は人間の秩序について論じる。無駄なことだ。人間そのものが歪んでいるのだから、彼らの秩序も必然歪んでいる。正しいのは神だけだ。真理は揺るがない。それは人間の幸福とは関係ない。理想を掲げるとか掲げないとか、そんなことは全く、問題の本質ではない。」

       

      誰が何を選択するのか? その先のことは見通せない。

       

      だから今日、私はただ単に、理想は暴力に基づいているということを言いたい。

       

      兵器の力であろうが数の力であろうが、何にせよ暴力を自覚しない理想は、虚ろで世間知らずで、無力だということだけを言いたい。

       

       

       

       

       

       

       

      JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学

      2020.08.17 Monday

      根源的暴力

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        「公平・公正な社会」や「法の下の平等」といった理想を掲げる時、あるひとつのことを思う。

         

        理想は暴力を必要とする、ということである。

         

        公平とか平等という概念を各々が共有するためには、その考え方を受け入れない個体や集団を、先ず第一に排除しなければならない。(大昔の貴族は、貴族が平民より上の存在だというわがまますぎる考えを持っていたので、”大人しく”させられた。)

         

        相容れない価値観、不都合な主張などを基本的には武力の脅威で押し黙らせてようやく、私達は理想を実現させる。

         

        そうした暴力を通して出来上がった「社会」の中でだけ、「公平さ」や「法の秩序」は絶対的な力を持ち、正義と成り得る。

         

        だから本質的には、平和だとか人間の秩序というものは、暴力に基礎付いている。

         

        人間の、というより全ての生物の宿命として、そうした「我を通すための暴力」というものがあるのだろう。

         

        暴力なしに理想を実現することはできない。

         

        これは「暴力によって築かれたルールを根拠に、個人の権利を主張する」というような間接的な意味でもそうだし、多分、場合によっては、より直接的な意味でもそうなのだ。

         

         

         

         

        神が人を裁く。その期待に寄り添えたなら、どれだけ楽でいられるだろう。だがそれはもの悲しい幻想だ。神は人間を特別に擁護したりはしない。その盛衰はただ単に、無数にある種の内のひとつの形、ひとつの記録にすぎない。

         

        私たち人間の幸福のために、という意味においては、人はただ、人が裁くのだ。

         

         

         

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