2018.11.10 Saturday

ラポールとブーメラン効果

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    カジュアル心理学っぽいことをしていきましょう。

     

    今日は、『ラポールとブーメラン効果』について。

     

    これぞまさにカジュアル、というテーマです。とても簡単で、分かりやすく、しかも実用的。図解してみましたのでちょっと見てみてください。

     

     

    <ラポールのイメージ>

     

     

    ラポールとは、相手との信頼関係のこと。カウンセリングやコーチングではとても重視されています。

     

    図の中では、先生役の人が \気靴い海函,函´間違ったこと をそれぞれ言っています。

     

    その反応として、正しいことは肯定され、間違ったことは否定される・・・かというとそうでもありません。これが心理学の面白さですね。

     

    ある主張が相手に受け入れられるかどうかは、相手との”信頼関係”に大きく左右されるというのがキーポイントです。

     

    一番左側の人は、先生役の人が正しいことを言おうと、間違ったことを言おうと、それを否定しようとします。人間には、嫌いな人の言うことは兎に角なんでも否定したくなる、というクセがあるのですね。これを”ブーメラン効果”と言います。

     

    教育者とかコーチ、会社で後輩を教育するトレーナーなどは、こうした単純なことを理解しておくことが特に重要ではないでしょうか。

     

    教育は、何をおいても信頼関係。その為には先ず、教える相手のことを理解しようとする気持ち、を抱くところからですね。

     

     

     

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    2018.11.09 Friday

    二元性について

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      学んだこと。

       

       

      『二元性について』

       

      人間の精神は、生まれたはじめの頃はひとつの大きな絵画のようなもの。

       

      そこにはまだ、自分とか他人というものはない。暖かさ冷たさ、そういうものはみな誰彼に属するものでもなく、ただそこに配置されているだけ。この段階では、精神は言わばひとつの大きなドラマの、視聴者に過ぎない。

       

      やがて言葉が発達し、物事をあれとかそれとかに切り分けるようになると、世界の分離が始まる。”私”と“私以外”という物の見方が生じ、あれはこれではない、これはあれではない、という観点が極限まで強化されていくと、二元論的世界観が生じる。

       

      二元論は、あらゆる分離を明確化する。右と左、男性と女性、善と悪、光と闇、などなど。二元論的世界観の中では、人間はやることが多い。良いものを求め悪いものを削り落とすために多忙になり、ストレスや苦しみも多い。

       

      その多忙さの中で経験が蓄積されていくと、いずれはこの二元性は終わりを迎える。すべきこと、できること、本当の正義と心の底からの願望。こうしたものを追い求め、課題と障害に直面していく中で必然、その対立構造が幻想であったことに気付く。

       

      敵意は慈悲心に変わり、邪推は共感的な親密さに変わっていく。この段階では善も悪も存在しない。すべてがただあるがまま、そうある、ということを受け入れるようになれば、苦しみの性質もずっと穏やかになる。

       

      このように、二元論は最終的に一元論的な性質のものに変わっていく。人格や意志もまた、それに伴って一元性のものに変じていくだろう。

       

       

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      2018.11.08 Thursday

      神とは何か

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        学んだこと。

         

         

        『神とは何か』

         

        ”神”が私たちのように、人格のある何かであるとは思えない。

         

        それは今日この日、今この瞬間も脈々とこの世界を存在させ続けている何らかのエネルギーである。

         

        より卑近な形としては、”神”は時間や空間といった自然法則そのものとして受け止められる。

         

        純粋に宗教的な見解を分析し理解する際には、その中で”神”が語られる箇所を全て”真理”という言葉に置き換えても良いだろう。

         

        だがなぜ、”真理”ではなくあえて”神”という言葉を使う必要があるのだろうか?

         

        それは、”真理”という概念が静的な言わば死に絶えたものであるのに対して、”神”は今なおこの世界を通して、生き続けている真理、というイメージを持つからである。

         

         

         

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